名前のない物語 -Arthur's Side-
Anyway, spring is visited again to the world.

However, spring not can visit would be heroine's mind.



      0



雨が上がった。
雨に濡れた石碑は、どこか奇妙に儚げに光を放っている。

ようやく復興されたシイルの街に置かれた石碑には、連日多くの観光客が英雄を讃えに訪れる。
エージスに運んでもらった巨石には、名もなき英雄を讃える文面が刻まれている。刻んだのがこの国を抱える国王だと言うことを知っている観光客は、いないだろうが。

……そう、彼女はまさしく、『名無し』だった。

あれから五年が経った。
英雄の名前がどんな響きだったのか、考える者はいるだろうか。英雄の生き方がどんなものだったのか、考える者はいるだろうか。当たり前のように彼女、と三人称の刻まれている石碑を見て、英雄が女性であることを考える者はいるだろうか。

まだ、俺とそれほど年齢の変わらなかった少女だった。

その少女が、世界を変えたのだ。
争い合った二つの種族が互いの手を取り合い、痛みは共に分かち合うものとなった。それも、僅かな日々の間に。
それは、俺と言う名の世界も、変えた。僅か数日で、俺も変わった。

それがたった五年で風化してしまうほど、世界はあっという間に平和に溶け込んでしまった。

なあ、君がいたらなぁ。
そしたら、この平和な世界を、見てもらえたのに。

平和な世界に英雄が要らないなんて道理、どこにあるというんだい。もしそんな道理があるのなら、この俺が――


「ここにいたのか、王よ」


この声と口調は、セタだった。
俺の護衛だが、彼女の方が、王としての風格があるように思える。
そこそこの政治だけで、或いはシンボルとして玉座に座ってるだけでいいのなら、俺が王である必要なんてどこにもない。俺は、王様の長男に生まれてきただけの男だ。

「まぁな」俺は振り返らずに答えた。

今思えば、何故竜人があれほど怖かったのだろう。セタに限らず、彼らは強さや弱さや優しさを持った、俺ら人間と外見以外はさして変わらぬ存在だった。

彼らが襲って来たからか。
実際それは間違っていない。セタに言わせれば、竜人も人間が怖かったから襲ったのだというが。
失礼ながら俺らは彼らの姿をみて、化け物だと思った。だが、彼らにとっては俺らの姿が化け物に見えたのかもしれない。そんな、外見と言う、考えてみれば凄く些細な理由で、俺らは永劫ともいえる時間を、争いに費やしていたのだ。


「まぁな、じゃないだろう。何日城を空けてるんだ」

「俺がいなくてなんか問題でもある?」

「あのな……」


竜人の感情の起伏は人間のそれに比べて読み取り辛いためにまだよくわからないが、彼女が溜息をついているのは窺えた。俺もだいぶん飽きれているのだが。何に対してなのかは、自分でもよくわからないけども。


「俺一人いないくらいでどうにもならないよーな国にした記憶はねーよ」


俺は国防を担っているエージスの言葉をもじって言った。
『俺一人欠けたくらいで全滅しちまうよーな隊に育てた記憶はねーよ』とは、彼の言葉である。


「俺なんかいなくても、政治はイシュテナがどうにかしてくれるし、国防ならエージスに任せられる。この二人には立派に育ってる跡継ぎもいるしな、俺と違って。
 俺の出る幕なんて、どこにあんのさ」


俺の言葉にどこか自嘲の色があるのを感じ取ったのか、セタは、何も返さなかった。


「俺が王様やってるのなんてさ、どうせ父親が王様だったからさ。その俺がいる意味って、ないんじゃないのかな。あの子がいた方が、よっぽど意味がある」

「王よ……」


わがままを言えば、王などと呼ばれたくはなかった。
そりゃ、生まれた時から国王の長男だったわけで、俺みたいなのでも、俺は王になる男だという自覚は少なからずあった。だから、五年前に親父が死んで即位した以上は、国王陛下だのと呼ばれることになるのは、わかっていた。
それでも、アーサと、呼び続けてもらいたかった。


「王は、わかっとらんな。いや、わかってるのかもしれんが。
 エージスやイシュテナが留守を守れるのは、王の戻りを待つためだろう。王がいなくてよければ、誰が何故あの城を守るのだ。誰が何故この国を守るのだ」


頭ではわかっていた。エージスが言ったそれとは違い、俺は欠けた訳ではなく少し離脱しているだけだ。隊長が死んだのではなく、隊長がしばらく離れている間も砦を守っているだけだ。

セタが言いたいことは、わかる。
用もないのに砦を抜け出した放蕩隊長に、さっさと帰れと言いたいのだ。

この国が、僅か五年で英雄を忘れるほどに平和になったのは、他でもない俺が、彼女を忘れたかったからと言って嘘ではないだろう。即位してしばらくはそれはもう死ぬんじゃないかというくらいに必死に走り回った。争いで荒れ果てた国の再興をし、より豊かで幸せで平和な国を作るために。
皮肉にも、国民だけが彼女を忘れ、俺だけは覚えていた。俺が平和を創った王と讃えられる一方で、その平和の根幹を創った英雄が、忘れられていく。

それに、耐えられなかった。

石碑は、こんな、馬鹿な国王のエゴで作られた。石碑は英雄の記憶を人々に今一度与えた代わりに、俺が彼女を二度と忘れられなくする原因を作った。

俺は嘆息して、セタの方を振り返った。
考えても仕方がなかった。はじめから、忘れられるなどと考える方が馬鹿だった。


「さて、帰るか」

「なんだ、いつもより早く気が向いたな。どう言う風の吹きまわしだ」

「何とでも言えよ」


俺は苦笑した。セタも、案外冗談を言う。別に気が向いても向かなくても、城に強制送還させるために俺の居そうな場所を当たっただけだろうに。
どうやらエージスあたりに手段は問わないとでも言われているらしく、一度頑なに断ったら、みぞおちをやられた。それで気を失い、気が付いたら城にいた。あれをまたされるのは流石に嫌なので、セタが来た時点で諦めている。少し彼女に愚痴をこぼすくらいか。
俺たちは城に向かって歩き出した。


「なぁ、セタ。俺を名前で呼べって法律作りたいって言ったらみんななんて言うかな」

「また奇妙なことを言うな、王は。せめて公的な部分では控えとけ。プライベートな部分で呼んでもらうよう頼むのは、いいかもしれんが」


セタが俺の気持ちを汲み取ってくれているのがわかった。王はあくまで王と呼ばれてなくてはならないが、だからといって名前で呼んでくれる友人がいてはいけない理由はどこにもない。


「王は一人しかいないが、完全に孤独たる理由はなかろう。……望むなら、私も場を弁えつつアーサと呼ぶが」

「セタがわかってくれてよかった。お願いしたい。場は自分で判断してくれ」

「ふふ、王、いや、アーサが戯けたい気持ちがわからんではないのだ。
 今でこそ私もセタ様なんて呼ばれているが、やはり小さな子らと戯れる時はセタねーちゃんの方がしっくりくるしな」


セタの面倒見のよさは、よく知られていた。時間があれば小さな子とよく遊んでいる。時に姉のように、時に母のように。
竜人の女性の多くは衛生兵として駆り出されたので、早くに母親を失う子は少なくなかったようだ。セタもその一人だという。そんな彼女の目に、母を失った子どもたちと幼い頃の自分が重なって見えても、何ら不思議はなかった。
竜人も人間も、『人』なのだ。

雨上がりの晴れた空。日はまだ高かった。
城に帰る頃には、日は沈んでしまっているだろう。

沈まぬ日がないように、昇らぬ日もないのだ。



      1



王である父がおかしくなったのは、果たしていつのことだったか。
思い返すと、何の根拠があったのか、魔王復活を最初に唱えたのも父だった。

父は、魔王退治のために高い能力を持つ人間を若い奴から順番にたくさん派遣した。最初の一人は、俺の幼馴染だったのをよく覚えている。
そして、誰も帰ってこなかった。

城の警備隊長のエージスが、若い奴から派遣する事への疑問を口にしていた。彼の実力は広く知られていたが、なにせ退役を考えてもおかしくない年齢だった。自分が先に行けば死なずにすんだ若者がいたはずだ、という思いがあったのかもしれない。

指揮者不在となる警備隊を心配したのではと、俺が言うと、エージスは笑いながら言った。
「俺一人欠けたくらいで全滅しちまうよーな隊に育てた記憶はねーよ」と。
彼は俺の事も対等に接してくれていた。呼び名が王子さんだったくらいで、まるで近所の強いおっさんのような感覚だった。今は、王さんだ。

エージスは既に後任を指名していた。
しかし、その後任の男も、魔王退治に行って帰って来なかった。
その時に、せめて先に行かせてもらえれば少しは魔王が弱った状態で戦わせられたかもしれないのに。そんな後悔が、つきまとっていたのだろう。

何処に魔王がいるのか。
何故討伐隊を結成させなかったのか。その指揮官として、周囲からの信頼も厚いエージスは適任だったように思う。

父が、その発想が出てこないほどの愚王だったはずがない。それまで戦いの続く世界を守り続けていたのだから。客観的にみても、悪くはない国王だったと思っている。

何が起きたのか知りたくて、俺は一人で旅に出た。

異変が起きた父の事も気掛かりだったが、国中の実力者を皆殺しにした魔王の存在も気になっていた。
まずは、リーリルへ。かつて魔王を倒した伝説的な戦士の一人である賢者サリムに話を聞こうと思ったのだ。最終目的地はシイルだった。図書館に何かの資料があるだろうし、預言者の少女に話を伺おうと思ったのだ。道筋は、遠く険しい。

正直、俺でなくてもできると思った。誰かに秘密裏に命令すればいいだけのことだったかも知れない。俺にだって、信用できる部下の一人や二人、いたのだ。
でも。
俺がやらないといけないと思った。

そんなわけで、俺はある日城を抜け出した。
それが、五年前のことだった。



      2



エージスの協力を得れば、城を抜け出すことは、造作もなかった。

彼の部下の鎧を借りて、それで変装したのだ。我ながら少し似合っていたのが悲しかったが、俺はそれ以上は何も考えずに荷物をまとめて城を出た。エージスを伴えば、門番にすら呼び止められずにすんだ。彼がこれと見込んだ部下を一人連れて歩くことは、よくあったのだ。

俺は、城を出たところで、エージスと別れた。

エージスはサーショでしばらく時間を過ごしてから、鎧の本来の持ち主と共に再び城へと入って行った。
彼は父に魔王退治を命じられていた。それで、準備を部下に手伝わせていたという設定だったのだ。奇しくも彼は、一番最後に派遣された人物だった。

俺は城へと向かうエージスを見送ってから、旅人の振りをはじめた。しばらくしたら王子がいなくなったと騒ぎになるだろうが、彼に疑いが向く頃には既に魔王退治に行っているだろう。

サーショの町から少し離れたところに、俺は野宿の準備を構えた。
町に近すぎるとすぐに見つかるだろうし、かといってリーリルまで歩いても捜索隊などを派遣されたらすぐにでも見つかるだろう。まさか森にも近い辺鄙な場所にいるなどとは思わないはずだ。
シイルにいく橋は、何故か落ちていた。大陸を一周するしかないだろう。その方が、明確な目的がなさそうでもある。

比較的安全な森で薪を集めて、火炎のフォースで火をつけた。護身用のショートブレードは申し訳程度の代物だったが、野犬ならどうにか退治できた。それに、これ以上重い武器は装備するだけ武器に振り回されるだけだ。

そこから見る景色は、途轍もなく新鮮なものだった。
どこから流れているのかはわからないが、シイルの方に向かっている川。大陸の中心部に大きな湖があると言う。河川は俺がつい先ほどまでいたバーン城にも水が引かれていた。川には、橋がかけられている。
広がる草原、鬱蒼と茂る森。橋の向こうのサーショの街は、防衛のために大きな城壁に囲まれていた。その中で、将来俺が治めることになる国の国民が、俺の知らない無数の国民が、生活しているのだ。顔も名前も知らないだろう王子や国王の生活のために、身銭を切って税金を払いながら。

俺はまさに、絵に描いたような世間知らずだったように思う。
知識として知ってはいたが、実際に城を出たことは、数える程しかなかったのだ。だからか、多くの人にとって当たり前の光景が、俺には新鮮過ぎた。
こんな、無知にもほどがある世間知らずが、王様になって、いいのかよ。
そう考えると、少し悔しかったが、自分の国を見る絶好の機会を得られたことに、少しだけ感謝した。事態は、だいぶどうしようもないことになっていたけれど。そんなことがあったから、今でも一人で国を見て回りたいのだ。

ともあれ俺は、ただの旅人に見えるように日記などを持ち込んでいた。何かわかったことがあれば、ここに書き込むことにしていたのだ。

捜索隊に追われながら、しかも護衛すらいない単独での旅がどこまで続けられるだろうかと思いながら町の方を眺めていたら、一人の男の子が町から出てきた。年齢は十代前半くらいだろうか。貧乏なのか着ている服は粗末なものだったが、何やら籠を大切そうに抱えていた。
その男の子は、俺の方には少し目をやっただけで、そのまま通過して森の中へと入って行った。

ちょっと待て、あの子大丈夫か?
見た限り、武器らしいものは一切持っていない。身を守れそうなものも強いて言えばあの籠くらいだ。
とは思っただけで、だからと言って何かできるわけでもない俺には、どうすることもできなかった。
もしかしたら、あの男の子は竜人の兵士一人くらいならどうにかなる程度のフォースが使えるのかもしれない。俺は、そんな淡い期待を抱いた。

それから三十分ほどたってからだろうか。
今度は女の子が現れた。年齢は俺と同じくらい。黒髪をポニーテールにした、紺色のマントの旅人だ。紫色の瞳が、不思議なほど印象に残った。


「ねぇ、今、黒髪の男の子が通らなかった?」


彼女は俺に、そう尋ねて来た。俺は何の気なしにあっちの森の方に向かったよ、と答えながら森の方を指さした。


「ありがとう」


彼女はそう答えて、森に入って行った。
おそらくさっきの男の子を追いかけてきたのだろうが、あの子もあの子で大丈夫なのか? マントの下にショートブレードを下げているのだけは、窺えた。

それから一時間後に、男の子が街に帰って行く姿が見えた。腕に怪我をしているようだが、摘んで来たらしい薬草などがたくさん入った籠を抱えるのに不便するような大きな怪我ではなかったようだった。
女の子が、森から現れて、俺の方に近づいて来た。


「さっきはありがとう」


彼女はそう言ってから俺と何気ない会話をしてサーショに向かって行った。


後で知ったことなのだが、あの男の子には病気の姉がいて、その姉のために薬草を摘んでいたのだという。そのために森に向かった見ず知らずの彼を案じた通りすがりの女の子が追いかけ、竜人兵に襲われていたところを間一髪で助けたのだという。
ただ、男の子のお姉さんの病気はそれで治るようなものではなく、申し訳程度に症状の悪化が弱まるくらいだったという。リーリルで買える高価な薬を毎日正しく与えてやれれば確実に治るものらしいが、木の実を集めて売ってやっと生活していた彼に、とても買うことはできなかったのは、想像に難くはなかった。
それでも姉を失いたくなくて、気休めでも木の実と一緒に薬草を摘んでいたのだろう。

無知を、思い知らされた。
経済的理由で家族が苦しんでいる姿を見ているしかできない国民からも、俺たちは税金を絞って、無駄に立派な飯を食って、無駄に立派な服を着て。
何も知らなかっただけにすぎないであろう父を批判するつもりはないが、俺はそれが当たり前な国を変えなきゃいけないと切実に思った。

そして、名前すら知らない相手を身体張って助けたあの子。
それこそまさしく、英雄。



      3



翌日は、リーリルに到着した。
俺はこの旅をした頃より七年前、つまり十二年前に母が亡くなった時に世話になった医者を訪ねた。


母は、篤い病に倒れていた。
王妃を治癒した者には二万シルバの褒美をくれてやると父は触れ回った。にも関わらず、招待状を手に褒美目当てに我先にと現れた国中の医者たちは諦めろとばかりに首を振り、城を去って行ったのだ。それほどに母の病は酷かったのだ。
触れがでてしばらくして、医者も来なくなった頃に、ある男が現れた。

男の名前は、クラートと言った。それまでに来た医者の中では誰よりも若かった。当時は、たぶんまだ二十代だったと思う。
彼は、自分の元に城への招待状が届いていないから来るに来られなかったと説明した。その手には、賢者サリムからの推薦状があった。彼の署名は間違いのないものと確認されて、クラートはようやく母の前に通された。

他のどの医者よりも長い時間をかけて診察した後、クラートは謁見に訪れた。

彼は開口一番、深く頭を下げて、こう言った。
「申し訳ございませんが、王妃様は私には治癒できぬ病です」と。そして、更に続けた。

「恐らく王妃様は後半年ほどのお身体かと思います。私にできることは、その半年の間、できるだけ苦しまぬように過ごしていただけるよう、手を尽くすことだけでございます」


クラートはそう言って、もう一度、深々と頭を下げた。


「仮にも医者を名乗る者として、恥ずかしく思います。大変、申し訳ございません……!」


その姿はガキながらに心を打つものがあった。
救えないからそれで終わりだと去って行った褒賞目当ての医者たちとは違い、医者として悔しさを滲ませながら患者の家族である俺たちに深く頭を下げるその姿は、まさに医者の鑑と言えた。
彼が母の命は救えぬと言ったのだから、救えぬのだろうと納得すらできた。


「頭を上げてくれ、クラート」


父が、わざわざ玉座から降りて彼の前へと歩み寄った。そんな姿を見るのは、俺も父の側近たちも初めてだった。


「妻は、今も原因の分からぬ熱などに苦しんでいる。妻が生きている半年間は、それから解放してやれるのだろう?」

「はい、国王様」


父の予想外の行動に、流石に戸惑いながらクラートが頭を上げて答えた。


「勿論、ご家族である国王様や王子様のご協力は必要かと思いますが。熱があれば熱を下げ、何処か痛みや苦しみがあればそれを和らげること。私にはそれしか」

「頼む」父は、クラートの言葉を最後まで聞かなかった。

「王妃は、我にとっては妻で、王子にとっては母なのだ。まだ幼いこの息子に、少しでも母と会話させてやりたい。残り短い身の妻に、少しでも母の顔をさせてやりたい。妻に、少しでも幸せを感じながら逝かせてやりたい。
 妻の命を救えずとも、妻の心を救ってくれ」

「畏まりました、国王様。手を尽くします」


クラートは再び頭を下げて答えた。

それから、手持ちの薬からいくらか母に投与した。母は起き上がれるほどには、熱が下がったが、それは一時的なものだと言う。また苦しみ始めたらそれに合った薬を与えると言うのを繰り返して、少しでも楽にしてやることが、彼ができる唯一で最大だと説明した。
俺や父は、それだけで泣いて喜んだ。俺は母の熱が下がったと知って飛び跳ねてその母に早速叱られた。

母を救ったのは間違いなく彼だからとクラートに褒賞をくれてやりたいと俺が言うと、父が頷いた。が、肝心のクラートだけは首を横に振った。結果として助けられないから、と。
ここまでしてもらっておいて無償では気が済まないと俺と父が何度も言うと、ようやく、半分だけ受け取ってくれた。

今は半分だけ貰って、この病を治すための研究の費用に使いたい。残りの半分は、実際にこの病を治癒できるようになってから、受け取りに行く、と。今思うと、たった一万シルバで足りるわけがないのに。
クラートは、どこまでも誠実な医者だった。

それから半年後に母は眠るように静かに息を引き取った。
もう見れないと諦めていた母の笑顔を、その間に何度も見た。若いが優秀な医者に診てもらっていたので、母は自分の病気が助かるものだと最後まで信じていたようだった。俺たちも、母に助からぬものだと知られないように気を配っていた。

後に、クラートはエルークスと名付けた様々な病気や怪我に効く新薬を開発した。
その新薬が母がかかった病気の特効薬になると証明して見せたのは、俺が即位してしばらくしてのことだった。もう残り数日かもしれない状態からの投与を続けて治癒に成功したとの結果が出たのだという。後で知ったが、患者の名前はシズナと言うらしい。
俺が約束の褒賞の残りの半分を渡すと、クラートは今はまだ高価なこの薬を少しでも安く売るために、量産できるよう研究を重ねると言った。それでもやはり、一万シルバで足りるはずがないのに。
俺は、会議で国が医者の研究費や生活費を賄うことで国民の負担を減らす法律を提案した。それは中々理解を得られなかったが、イシュテナの賛成もあって可決され、今はその実装に奔走している。実際、医療が安く受けられれば元気になる国民も増え、家族の看病に時間を割きすぎて仕事がままならなくなる国民も減る。結果として税収も増えて国が豊かになるのだ。

エージスに言わせれば、「あいつはいかにも女なんじゃねーかと思うくらいにはひ弱そうだが、俺が知ってるどの男よりも男らしい」とのことだ。

クラートは、俺の知る限り一番の名医だ。



      4



この時俺がクラートを訪ねたのは、奇しくも賢者サリムの、孫娘の夫がクラートだからだった。
そりゃ、孫の夫が無名でも腕のいい医者だと知っていれば推薦状の一枚くらい書くだろう。

クラートは表を軽く掃除していた。病院はまだ開けていないようだった。
王子が朝五時に突然現れたのにも関わらず、彼は黙って中に入れてくれた。


「息子が六時に起きるので、恐れ入りますがそれまではお静かにお願いします」


クラートの息子のセシルはこの時まだ六歳だった。俺が六歳の頃は六時に起きたっけ、などとぼんやりと思いながら俺は彼の後に続いた。六歳の頃といえば夜更かしもしていないのに毎日のように寝坊して叩き起こされていた気がする。六時に起きるなど初めから思考回路の外だった。


「突然来てしまって、申し訳ない」


俺はクラートに案内された席に着いてまずそう言った。クラートはテーブルにお茶を置いて、自身も席に着いた。


「いえ。如何なさいました、王子様」

「サリムに会いに来たんだ」

「!」


クラートの表情が険しくなったのが、見て取れた。


「申し訳ありませんが、それは適いません。
 実は義祖父は、数年前から旅に出たきり行方が知れぬのです。妻のイシュテナも、彼を捜しに旅に出ています。妻は転移のフォースが扱えますし、あまり心配はしていないのですが」

「そうか」

「義祖父か妻でよろしければ、言付けを預かりますが、如何なさいますか」

「ああ、頼む。実は、魔王のことなんだ」


俺は事情を説明した。
父が魔王退治に多くの実力者を派遣して、つい昨日最後の一人が出発したこと。そもそも魔王が本当に復活したのか確証もなく疑問であること。若いものから順に、しかも単独で派遣するという父のやり方は明らかに疑問の残る内容であること。その謎を調べるために、俺が城を抜け出して旅に出ていること。
クラートは、黙って全部聞いてくれた。


「五十年前に魔王を倒した者の中で、唯一生きているのがサリムだけなんだ。それで、話を聞こうと思って」

「わかりました。妻が戻り次第話しましょう。他に、ございますか?」

「実は、シイル方面の橋が落ちてて、今修理中なんだ」


一瞬クラートは、何が言いたいんだ、と言いたげな表情を浮かべたが、すぐに真意がわかったようだ。


「わかるよな。シイルにいけないんだから、派遣された連中はリーリル方面に向かうしかないんだ。あの川は急だから泳ぐ奴なんてそんなにいないだろ。どう考えても大多数はこっちに向かうはずなんだ」

「悪い予感がいたします。国王様が派遣したと思われる人物が通った形跡は、一人たりともございません。この病院から街の外も見えますので、旅人が来たらすぐにわかります」


重要な情報だった。

魔王退治に派遣された者に、リーリルに辿り着いた者はいない。俺ですら簡単に辿り着けた、リーリルに、だ。


「そうか、ありがとう。邪魔をしたな」

「いえ、お力になれず、申し訳ありません」

「いいんだ。あとひとつ、頼みがある」


そろそろ彼の息子が起き出す頃だろうと、俺は時計を見た。予め朝食は用意があるらしいが、長居するのはなんだか悪い気がしたのだ。


「わかりますよ、王子様。
 城の者が来ても俺のことは話すな、でしょう? 王子様に協力させていただきます」


玄関先に向かう俺に、クラートはニヤリと笑って見せた。
彼もこんな表情をするんだ、となんとなく思った。


「あ、そうだ。南にあるムーという村には、世界に危機が訪れた時に救世主が現れるという伝承があるそうです。魔王に関係があるのかはわかりかねますが、お時間ございましたら行ってみては如何でしょう」

「わかった、行ってみるよ」


俺はそう答え、病院を後にした。

サリムには会えなかったが、収穫があった。
賢者サリムの失踪。魔王退治に派遣された人間が、俺ですらさしたる苦難もなく到着できたリーリルにすら辿り着いていない事実。

これも全て、魔王と関連しているのだろうか。

考えながら焚き火を熾していると、前日にサーショの近くで会った紺色のマントを羽織った黒髪の紫色の瞳の女の子に、この日も会った。


「また会ったわね」


彼女はそう笑って、俺が簡単に熾していた焚き火の側に腰をおろした。


「ひょっとして、ルート一緒なのかな? 俺、世界一周してみようって思ってるんだけど」

「私もだいたいそんなものね。明確ではないけれど。旅しながら色々やってるから、どうしても忙しくなってしまうの」

「色々?」

「そう。私、色んな人に色んな頼み事をよくされるのよ。私って頼みやすそうな顔でもしてるのかしら?」


俺は苦笑を噛み殺した。
なんとなくわかる気がしたのだ。

自ら、見ず知らずの男の子を助けに行ってしまうくらいには人がいい上に、行動力があることも知っていたからだ。頼まれていないのに行動してそうでもある。その際、彼が竜人兵に襲われていた場面に出くわして、なんとか間に合ったと本人が言っていた。
実際あの森は竜人兵が出没する区域だし、彼女の目は嘘をついている目ではなかった。
旅人だから名前が知られていなかっただけで、実はエージスなどと肩を並べられるような実力者なのかもしれないと思った。

彼女がもし、信頼におけそうな人物だったら、或いは。


「それじゃあね」

「ああ、また」


彼女は立ち上がり、リーリルの街並みへと消えて行った。

もし、翌日も会えたら。
俺は思った。
その時は、名乗り、事情を説明しようと思った。



      5



事が大きく動いたのは、翌日のことだった。

俺はクラートの助言に従いムーに向かう途中の道でいつも通り薪をまとめた。
リーリルを発ったのは夜のことだった。城の者がいつ来るかわからなかったのもあったが、リーリルは竜人の拠点が近くにあって長居は少し怖かったのだ。
城に近過ぎてサーショでできなかった分の準備をリーリルで整え、すぐに出発した。身を守るためにフォースを買い込んで、応急処置くらいならできそうな傷薬を購入した。盾が欲しかったが、それは諦めた。

夜遅くに焚き火をまとめて出立した時に、黒い影が街の側の森に向かった気がしたが、気のせいかと思い直した。あの森の奥には竜人兵の砦があったのだ。奥まで行かなくても、巡回している兵士がたくさんいるだろうから、危険なこと極まりなかった。

俺は焚き火を熾してその場に横になった。この付近はまだ安全だが、そろそろ危険な道を通らなくてはならないので、どう切り抜けようものか考えながら、昼過ぎまで眠っていた。

昼過ぎに起きて、俺は簡単な朝食を作っていた。朝食と言うか昼食みたいな感じだ。


「随分遅い朝ご飯ね」


上から声が聞こえてきて、顔をあげると件の黒髪の女の子が自分の方を見下ろしていた。


「さっきこの辺りを通り過ぎた時、寝てたでしょ」

「移動が夜中だったもんで」

「ご一緒していい? これからお昼なんだけれど、薪を集めるのが面倒で」

「ああ、いいよ」


俺が答えて席を勧めると、彼女はありがとう、と笑って腰をおろした。


「それにしても、よく会うね。今後も会うだろうから、名前聞いてもいいかな?」

「私はナナシって言うの」


個性的な響きを持つ名だ、と俺はぼんやりと思った。ただ、とても透き通ったような響きを持っているとも、感じた。


「ナナシさんかー。いい名前だね。俺は、アーサっていうんだ」

「そう、アーサ。名前、教えてくれてありがとう。あなたの名前もいい名前だと思うわ」


それにしても、よくありがとうと言う女の子だとふと思った。
男の子がどこへ行ったか教えた時も。焚き火を勧めた時も。俺が名乗った時でさえ。
なんでもないようなことで、彼女は当たり前のように礼を言った。
後にセタに聞いたが、彼女が可愛がっている子をナナシさんが助けた時に、礼をしたところ、人間である自分を信じてくれてありがとうと、笑ったという。

なんとなく、何でもないようなことで礼を述べてしまうナナシさんは、信用における人物のような気がした。彼女が頼まれごとをよくするのも、納得がいってしまう。


「なぁ、ナナシさん……」


俺が言いかけたその時、違う人物が現れた。


「あら、王子様ったら。主人に事情を聞いて、ムーに向かっているって言うから追いかけてみたら、デートの邪魔でしたか?」

「イシュテナ」


現れたのは賢者サリムの孫娘イシュテナだった。母のことでクラートの世話になった時、何度か城に訪れていたので、顔は覚えていた。


「冗談はよせよ、さっき名前知ったばかりの仲だって」

「よく言いますね、アーサ王子。城では王子がいなくなったって、騒ぎになってますよ。その中で女の子とお喋りしてたら、冗談の一つくらい言いたくなります。ただ、時期が良かったですね」

「へ?」

「竜人兵の砦が陥落したとかでお城では制圧者を探せのなんのと大騒ぎになってるので、王子の存在が半分空気化してるんですよ」


半分空気化って、仮にも王子相手に何言ってやがる。
彼女の冗談っぽいところは以前から変わらなかった。どんな状況でもその姿勢は変わらないので、たまに真面目なのかどうか少し不安になる時もある。それは彼女の長所でもあり短所でもあった。


「王子様? アーサが?」


ナナシさんが首をかしげた。


「そうだ、彼女は事情を知らないんだよ」

「あら。まずかったでしょうか?」

「もう遅いし、今から話すところ」


俺はこれまでの経緯を話した。ナナシさんは真剣に全部聞いてくれた。


「で、イシュテナ」

「祖父は、見つかりませんでした。これといった手掛かりもございません。
 それと、ついでにここ数ヶ月のリーリルの宿帳の写しを持ってきました。主人が見逃していても、ここに名前があるかもしれないので」


俺はイシュテナに手渡されて宿帳をめくった。派遣された戦士たちの名前は、いくらか覚えている。


「……ないな。俺の記憶にある名前が、ひとつも」

「やはり、リーリルに辿り着く前の僅かな間に、彼らの身になにかあったのでしょうか。祖父サリムの失踪とも、関連があるかもしれません」

「ええと、どこから話せばいいのかわからないけれど」


ここまで話を黙って聞いていたナナシさんが、唐突に沈黙を破った。


「わかるところだけ説明するわね。
 まず、イシュテナだったかしら? 竜人兵の砦の制圧者を捜すのに躍起になってるんだったかしら」

「ええ、間違いないわ。おそらく、名の知られていない制圧者に魔王退治を依頼するためね」

「そう、じゃあ私はしばらく他人の振りをした方がいいのかしらね。もう他の派遣された人のようなことには、たぶんならないけれど。
 ああ、ここから言った方がよかったか。制圧したの、私なのよ」


彼女のあまりにあっさりとした予想外の宣言に、俺はとイシュテナが絶句している間に、彼女はさらに先を話した。


「制圧した後、空っぽの砦の奥に牢屋を発見したの。
 そこには、いくつかは既に白骨化している、人間のものと思われる多くの亡骸が転がっていたわ。生きている間に食事が与えられていたのかは定かではないけれど、死んでからは放置されていたんでしょう。
 生存者がいないか確認していたんだけれど、あなたたちにとって、おそらくかなり衝撃的な情報があるわ」


俺は、ナナシさんが続きを話すのを固唾を飲んで待った。


「奥に、一人の生存者がいた。屈強な男性だったわ。ただ、とても衰弱していて、自力で動くことすらできないみたいだったけれど。私がリーリルまで運んだから、今はクラートの病院のベッドで寝てるはず。
 彼は、意識を失う直前に、エージスと名乗ったわ」

「!」

「私が来てすぐに、彼は意識を失ったから、城を出てから彼の身に何が起きたのかは知らないわ。ただ、詰所の兵士たちの情報によると、彼は城を出てから、サーショにすら辿り着いてないそうよ。
 だから、城からリーリルではなく、サーショまでの本当に僅かな距離の中で捕らえられ、砦に収容されていたんでしょうね。おそらく、魔王退治に派遣された全員が」


俺の中で疑問が浮かぶ。エージスなら、というか他の誰でもそうだが、みすみす捕らえられるほど精神的にも肉体的にも弱くはないはずだ。
それに。


「エージスにしたって、そこまで衰弱するかな」

「これはクラートからの情報よ。エージスは、恐らく竜人特有のものだと思われる毒を盛られている。私も思ったのよ。いくらなんでも弱りすぎだって。でも、一直線に死に向かってるような衰弱をしてたの。彼を運ぶ時大変だったわ。おそらく体重もほとんど変わってないわね。
 ……私の知ってる情報は、これで以上よ」


この話で、点と点が繋がり、線になりはじめた。

魔王退治に派遣された戦士たちは、城を出て程なくして、何故か竜人たちに捕らえられ、砦に収容されていた。そして、収容先で毒殺された。すぐに捕まれば誰も帰ってこないのにも近くの街ですら見つからなくても納得が行く。
その中で、エージスは辛うじて生き残った。単純に、毒が盛られてそれほどの時間が経過していないからだろう。

魔王が存在するかなど、どうでもよかった。少なくとも、竜人側にはボスがいるのは間違いなさそうだ。ボス不在にしては、連携がうまく行き過ぎている。そのボスを魔王と呼んで、問題はないだろう。


「エージスは、このままだと助からない可能性の方が高いわ。いかんせん解毒の方法がわからないのよ。今は、解毒剤かなにか、手に入らないか探しているところなのだけれど」

「そんなの、見つかるのか? というかどうやって探すんだ?」

「探すことを諦めたら、エージスはほぼ間違いなく数日中に死ぬわよ?
 竜人の活動域は主に森の中よ。なら、森の中の何処かで、見つけられるかもしれないわ」


まさか、国中の森を探索する気なのか。
その言葉がでかかったが、飲み込んだ。それをしない限り、本当にエージスは死んでしまう。
それに、竜人の砦を単独で制圧したナナシさんなら本当にやってのけるかもしれないし、今のところそれに関しては彼女を頼るしかなかった。
イシュテナもイシュテナで、サリムのことに関する手掛かりを探したいだろうし、まだ幼い息子の側をあまり離れたくはなかっただろう。


「俺、何もできないな」

「んなこたないわよ。あなたがいなければ砦の件以外の理由で城に入る方法がなくなるし。あなたがいなかったら私たちは情報をやり取りできなかっただろうしね。
 それとね、信じてくれてありがとう」


最後の一言で、俺は胸が熱くなるのを感じたのを、今でも覚えている。

君を信じた理由は、君の中にあるんだよ。お礼を言われる筋合いはないよ。

俺は、その言葉を飲み込んだ。



      6



ナナシさんが真っ直ぐに森に入って行くのを見送り、イシュテナもリーリルに戻って行った。

ムーあたりまでなら城の人間が来てもおかしくないだろうと思っていたが、誰も来なかった。後で知ったが、クラートが機転を効かせて、自分のところで薬を買ってからサーショに向かったことにしてくれていたらしい。
砦の制圧者を探すのにも人員を割いていたので、俺に割く人数が少なかったのも重なったようだ。ちなみに、旅人違いでナナシさんが彼の証言通りの行動をしていたので、サーショでも正しいのかどうかよくわからない情報が行き交っているという。王子の顔を知らない国民が多いので、とりあえず旅人を見たかと言う証言を集めるしかないのだ。ムーあたりまでなら、その気になれば一日あれば往復できるので、旅装束姿をした人はあまり多くないので、確かに絞り込むことはできる。

翌朝に出発し、九時を過ぎた頃にムーに到着した。
不思議な力を持つと言う、腕輪の生産が目立つだけで、後はのどかで小さな村だ。ハヤブサの腕輪を買いたかったが、値段を聞いて諦めた。俺はそもそも非戦闘員だから、装備に必要以上に路銀をかける気にはならなかった。

城の者が来る気配もなかったので、俺は村を観光して、大きな湖を眺めていた。


「あら、アーサじゃない」


振り返ると、ナナシさんがいた。
ナナシさんは俺に近付いてくる。


「朗報が、ひとつ。彼、きっと助かるわ」


一瞬、彼女が言った言葉の意味を、俺は把握しかねた。彼女にはこういう、妙に情報不十分な結論を唐突に言うところがある。癖なのだろうか。


「エージスよ。
 森の奥を歩いていたんだけれど、そこで迷子らしき竜人の子供を見つけて。そこで、人間に遭遇してね。
 何でかは知らないわ。けど、彼らが金は出すからその子を渡せって言うから、断ったのよ。それで、力ずくでその子を奪おうとしたから、その人間たちを、殺めてしまったわ」


ナナシさんは、おそらく砦で相当な数を殺した竜人を、助けたと自ら宣言した。それも、人間を殺してまで。
竜人とはいえ、子供だからという、単純だが深すぎる理由で。


「……何の罪もない子供を、竜人だからと言う理由で殺してるようなら、どちらかの種族が滅びるまで、私たちは互いに殺しあわなきゃいけないでしょうね」


彼女がそう吐き捨てたのが、胸に痛いほど響く。
その視点は頭から抜けていた。竜人か人間、どちらかが滅びるまで争いが続くと言うのはそう言うことだ。穢れを知らない子や身重の妊婦さん、果てには動くことすら難しい老人まで皆殺しにしなければならない。
根絶やしにするとは、つまりそういうことだ。


「私が彼らを殺してから、間もなくのことだったわ。竜人の砦を守っていたリーダー格の戦士が現れたの。私が背後で守ってた子を、探しに来たんでしょうね。私が経緯を説明する前に、竜人の子が、戦士に事情を話してくれた。
 流石に、子供の言うことは信じてくれたわ。同胞を殺したのかって、随分不思議がられたけど。だから……、私は人間である前に、『人』でありたかったって答えたわ。
 竜人の戦士はしばらく考えてたわ。それから、私は宿敵で、人間だがいい人だって言ってくれた」


その話は、聞けば聞くほど不思議な内容だった。竜人を助ける為に人間を殺した人間なんて、初めて聞いた。いや、誰か一人でも聞いたことがある人はいただろうか。
人間である前に『人』でありたかった。
その言葉が、竜人は悪だと言う教えで育った俺には、あまりにも深過ぎた。


「その戦士は、助けてくれたお礼に薬草を渡してくれた。砦に捕らえられていた人の毒はこれを煎じて飲ませれば治るって。
 それから私たちは互いに名乗りあって別れたわ。彼女はセタって言うんですって。彼女は信用していいと思う」


まさか、と思った。宿敵で、倒さなきゃいけなくて、でも信用できるなんて。だが、恩を仇で返してさえなければ、セタが薬草を渡したのも事実で。
今でこそセタがどれほど信用における相手なのかわかっているが、当時は考えることもできなかった。


「で、セタに貰った薬草を早速届けたの。エージスは見る間に顔色も良くなって、経過は今のところ良好よ。たぶん、近日中に全快するでしょうって」

「それは、よかった。ナナシさん、本当にありがとう」

「礼には及ばないわ。私が自分の為にやったことよ」


ナナシさんは笑って見せた。元より彼女は竜人を敵、とは思っていないのかもしれないと、この時気付いた。砦を制圧したのはその存在がリーリルの住人の生活を脅かすからで、別に竜人を殺す目的はなかったのかもしれなかった。後でセタに聞いたが、彼女は砦でも必要最低限の兵士しか殺さず、撤収時には衛生兵は全員生きていたようだった。

何の罪もない子供を、竜人だからと言う理由で殺してるようなら、どちらかの種族が滅びるまで、私たちは互いに殺しあわなきゃいけないでしょうね。

この言葉が、俺の胸にぐっさりと突き刺さっていた。

俺が村を出ようとした、その時。
強い光が村中を覆った。

俺とナナシさんは一瞬二人で顔を見合わせて、村の中心まで走った。
そこには、時の扉と言う、クラートが教えてくれた伝承が伝わる、小さな祠がある。先ほどまでは、そんなところから人が現れるわけがないと村人たちに飽きれられているのを気に留めずに、救世主様を出迎えるために、と祠を掃除し続けるお婆さんが一人でいた。
そこにいたのは、お婆さんだけではなかった。

村人たちが祠の周囲に集まっていた。どうやらここから光が溢れたのには間違いはないようだった。俺たちは村人たちの間を縫うようにして、祠の中へと入って行った。
中には、初めて見る男がいた。見たこともない風貌をしていたが、別段変わっているとは思わなかった。長身で、片目に眼帯をしていて、もう片方の眼は鋭かった。俺より、十かそこら年上だろうか。

まさか、『救世主』?

俺はその男に近づいた。
男は、口を開いた。


「●△×、☆■*?」



      7



言葉が通じない、別の世界から現れた救世主らしき男は、他の村人達に連れられて行った。
彼をどうしようか、他の村人達は決め兼ねてとりあえず話し合うことになったようだ。

ナナシさんは、彼と言葉を話す手段に心当たりがあるとだけ言い残し、用事があるからと村を去って行った。

俺は、特にやることもなく、村の外で焚き火を熾した。
とりあえずエージスは助かるようだ。彼の助力があれば、この旅も相当楽になるかもしれない。

夕方に、救世主を連れて村の老人が現れた。彼は、俺がこの男を連れて行ってくれないかと相談しにきたようだった。

この男、戦力になるのだろうか、とふと考えた。もしなるのなら、森を旅する間の護衛としては助かるのかもしれなかった。言葉は通じないが、身振り手振りはある程度通じるようだった。日常会話ができれば、旅には困らないだろう。

それに、「世界に危機が迫った時に登場する救世主」の、「危機」という部分が、気になった。

俺にとっては願ってもない話だった。
相変わらずのナナシさん頼りなのはなんだか忍びなかったが、彼女が言っていた言葉を話す手段の心当たりというのも、実現できる可能性は十分にあった。

俺が快諾したら、老人は心底ホッとしたようだった。やはり救世主を心から歓迎したくとも、言葉が通じないというのは些か厄介だっただろう。
老人は、翌日からは俺について行くようにと、救世主に手振りで説明していた。俺は、明日迎えにきますとだけ、言った。


その日の夜からは、雨が降り出した。
夕方から降りそうな気配はあったので、俺は荷物の中に入れていたテントを素早く張った。
中に焚き火の代わりにランプを入れる。広さは、寝ようとすると二人が限界だが、座って飯を食うくらいなら四人か五人くらいはどうにかなりそうなものだ。救世主との旅でも、最後まで困らなかった。もとはと言えば、エージスと合流したかったから大きいサイズのものを用意したのだったのだが。世の中何が起きるかわからないとはまさにこのことだ。

翌日、俺はテントを畳んで救世主を迎えに行った。まだ雨は降っていた。


「行こうか」


と、俺が声をかけると、救世主には何となく意味が通じたのか、頷いて俺のあとに続いた。

驚いたのが、確かにこの男、救世主と呼ぶに遜色のない強さを持っていたことだった。森に入るなり野鳥に襲われたのだが、彼はすぐさまロングブレイドを抜くなり野鳥を撃退してくれたのだ。エージスとどちらが強いだろう。
彼はフォースがない世界から来たらしくフォースを使えなかったのだが、それを差し引いても強かった。回復やらは俺がやればいい。

俺たちはしばらく歩いて、大陸東部の大森林の前にキャンプを張った。救世主がいてくれたお陰でさしたる危機もなかったし、森で薪を拾うにも困らなかった。彼は野鳥を一羽、捕らえて置いてくれた。

昼過ぎに、ナナシさんが現れた。
雨に濡れているせいなわけでもなく、彼女が憔悴した表情だったのを、俺はよく覚えている。


「どうしたの……?」


口をついて、その言葉が出ていた。俺はどうしていいかわからなくて、とりあえず彼女を中に入れた。


「シイルが、滅びたわ」


いつも通り、彼女は結論のみを先にさらりと言ってのけた。


「あの街にウリユっていう預言者の女の子がいることは、知ってるかしら。……昨夜の、彼女の預言は、こうだった。
 『街に大勢の竜人が攻めて来て、みんな死んでしまう』
 どう言う訳か、私の未来は彼女にはわからなかったの。私が彼女の元を訪れるときも、わかったことはなかった。それで、私だけは生き残るかもって思ったのでしょうね。彼女は私に一言、逃げて、と」

「それで、その竜人と、戦った?」


ナナシさんは、小さく頷いた。
自分の未来がわからないなら、覆せるかもしれない。自分がその竜人を、倒せるかもしれない。
彼女がそう思うのは、納得できる。

そして、彼女はその戦いに、負けたのだ。
皮肉にも預言通りに街は滅び、住人はみんな死に、ナナシさんだけは偶然にも生き残った。

預言者の未来がわかる力というのは、確かに敵に回すと厄介なのかもしれない。排除したい動きが出てくるのも、わからないわけではなかった。ただ、未来がわかるというのは、それ以上でもそれ以下でもない。
それにしても、今までは静かだった竜人の動きが、ここ最近で活発になってきたようにも思えた。それも、少し気になるところだった。

死ぬとわかっている自分達のために最後まで戦ってくれたことを、住人は感謝しているだろう。

そんな綺麗事は、言えなかった。


「ごめん、アーサ……、ちょっとだけ、泣いてもいい?」

「うん、いいよ。
 謝らなくていいよ。全部吐き出しちゃいなよ。吐き出したら、空っぽになったところに、何か美味しいものでも食べよう。あんまり上手じゃないけど、俺が作るからさ」

「うん……」


ナナシさんは、そのあとしばらく、ウリユの名を呼んで泣き続けていた。

ナナシさんがひとしきり泣き続けている間に、俺は救世主と二人で野鳥を調理していた。元いた世界でどんな生活をしていたのか、彼は野鳥を捌くのがやたらうまかった。


「落ち着いた?」


俺は、ナナシさんの方をあまり見ずに尋ねた。いや、彼女の方を、まともに見られなかったのだ。


「うん、ありがと」


ナナシさんは、短く答えた。


「さて、大雑把にご飯ができたから、食べようか。ナナシさん、あまり食べてないでしょ?」

「うん、いただきます」


しばらく俺たちは、三人で食事を続けた。食事をしながら、俺は何となく滅びてしまったシイルは、どんな街だったのだろうと考えた。
自分たちが死ぬなんて預言を残した預言者の女の子の預言を、住人たちは疫病神と罵声を浴びせることもなく黙って受け入れた。いや、ナナシさんの姿を見て抗う者はいたかもしれないが。
シイルがどんな街だったのかを、俺は知らない。だが、きっと預言者の女の子を受け入れた、優しい人たちが住む街だったのだろう。
俺は、この時、シイル復興を心に誓った。


「はは、美味しいものって言った割には、そんなに美味しくないな」

「そんなことないわよ。あったかくて美味しいわ。ありがとね」


ナナシさんは微笑んだ。


「お礼なら彼に言ってくれ。名前も知らない仲間だけど、野鳥を捕まえたりしたのは彼なんだ」

「その、彼なんだけれど」


ナナシさんは食事を終えるなり、救世主に何かを手渡した。指輪のようだ。
彼女はそれを指にはめるように手振りで説明すると、彼はそれに従った。


「私の言ってることがわかるようなら、右手を挙げてもらえるかしら」


え? と思った時には、救世主は右手を挙げていた。


「うんうん、じゃあ、何か簡単に自己紹介をしてもらえる?」


救世主は何か喋り始めた。ナナシさんが腕を組む。わからないようだ。彼女はもうひとつ同じ指輪を手に取り、指にはめた。


「えーと、悪いけど、もう一度お願いできるかしら。
 ……そう。アルバートって言うの」


アルバートと呼ばれた男は頷いた。
何が起きたかさっぱりな俺に、ナナシさんは自分の指から指輪を外して俺に渡した。


「翻訳指輪、と言うそうよ。相手の言葉がわかるものよ。だから、彼には私たちの言葉が通じるの。私は今は一人で平気だけど、あなたには彼がいた方がいいでしょうから、これはあなたが持っていて」


そこまで話して、彼女は立ち上がった。


「ご馳走様。あなたとご飯が食べられて、よかったわ。
 サリムの日記が見つかったの。彼の血を引く人間にしか開けないフォースがかかってるから、これからイシュテナを連れてくるわ。それまでに、アルバートにも事情を話しておいてね」


ナナシさんはそう言って、キャンプを出て行った。

俺は、アルバートにこれまでの経緯を話した。


「お前たちの事情はわかった。アーサには世話になったし、この世界では会話が通じる相手はお前しかいないようだからな。
 俺も、何故ここにきたのか実はわかっていないんだ。救世主と言っても俺にできることはこの剣でお前を守ることくらいだろうが」

「十分すぎるよ。王子と言っても、何の力もないんだ」

「そのようだな。話を聞く限りでも、あのナナシという女を相当頼ってるのがわかるし」


俺は思わず苦笑した。信用と依存は違うことは分かっていたが、言われると強くそれを自覚させられる。


「気に負うことはない。聞く限りではあの女はお前に頼られずとも、勝手に行動してそれがたまたまお前の利になっているだけだ。定期的にキャンプに来るのは、少なくともお前に不快感を持ってはいない証拠だな。不快だったらわざわざここに来たり報告したりするものか」


アルバートが、笑った。
初めは鋭い目をしていて、少し怖そうなところがあると感じたが、その表情は彼の優しさを感じるものだった。


「さて、ナナシがそのイシュテナを連れてくるのを、ここで待とうか」


ナナシさんは宣言通り、夜になってからイシュテナを連れて来た。

俺はイシュテナとアルバートを簡単に引き合わせて、本題に入った。
イシュテナの手には、一冊の本がある。それが、話に聞いたサリムの日記だろう。


「今から、読みますね」


彼女は、ゆっくりと、日記を開いた。

そこには衝撃的な内容が綴られていた。
魔王のことについて調べていたサリムが行方不明になって間もなく、彼は魔王と遭遇した。しかし、結界のフォースで己を守る魔王に、太陽の剣を手にしていないサリムは対抗できなかった。
しかし、魔王はサリムを殺さなかった。

彼が生きながらえた理由が判明するのに、時間はかからなかった。
サリムは、五十年前に魔王を倒した際に、魔王が最後に放った「自分にとどめを刺した者の精神と肉体を魔王と化する」呪いで、次の魔王の一人となってしまっていたのだ。サリムともう一人、二人の魔王が存在することになる。

サリムが、世界を脅かす存在になる前に、自殺を図った様子が、日記に綴られていた。しかし、彼は既に自分の中に侵食している魔王の精神に阻まれて、自殺すらままならなかったようだった。

最後には生々しく、
「死ねなかった」
「これから封印の神殿に赴く」
「イシュテナ、最後に会いたかった」
と、書き殴られていた。

最初に沈黙を破ったのは、ナナシさんだった。


「封印の神殿って?」

「この大陸の中でも、かなり奥まったところにある神殿よ。祖父が建てたの。
 そこはフォースが発動しないの。だから魔王特有の結界も、効果を失う。おじいさまは、そこを魔王との戦いの場と、決めていたのよ」

「わかった、ありがとう」

「こちらこそ。祖父の居場所がわかったのは、よかったわ」


祖父の行方を追う。
当初の目的は果たしたとはいえ、イシュテナの心中は察することが、俺にはできなかった。

ナナシさんは再び森の奥へと消えて行った。イシュテナはリーリルへ帰るという。

俺には、何ができるだろう。
そればかりを、考えていた。

雨上がりの五日目の夜は、更けて行った。



     8



翌日には、滅びてしまったシイルに到着した。

雨上がりの空は晴れていた。
俺たちは滅びたシイルの街を、歩いた。
無残に壊された建物に、壁を破壊した、何かを保管していたらしき小さな祠。図書館は無事だったが、特に情報になるものもなかった。

街の奥にある、小さな建物に、小さな花が手向けられていた。これが、ウリユの墓だろう。墓を作ったのは、多分ナナシさんだ。彼女を守れなくて、悔しかったに、違いない。
宿と思われる建物の跡に、宿帳が残されていた。

俺たちのために最後まで戦ってくれてありがとう。あの世に来てくれたら、いつでもタダで泊めてやるからな。
お嬢ちゃんは俺たちの英雄だ。

宿の主人の走り書きが、最期の言葉が、宿帳に残されていた。それが、胸に痛かった。

若い女の子という、少しだけ意外な姿をしているものの、彼女は間違いなく英雄だ。竜人の砦を制圧し、失敗はしたがシイルを守るためにおそらく動けなくなるまで戦い続けた。
弱きを守るその姿は、英雄以外のどの言葉で示せと言うのか。


「行こうか、アルバート」


俺が宿帳を置いて言うと、彼は静かに頷いた。

シイルがあった丘を降りたところに、俺たちは焚き火を熾した。アルバートはフォースが使えない。火を熾したり簡単な怪我の回復は概ね俺がやっていた。

夜に、いつものように、ナナシさんがきた。
緑色の髪をした、不思議な雰囲気を帯びた女性を連れていた。


「紹介するわ。旅の仲間、スケイルよ」

「スケイルと言います。お話は、ナナシ様から伺っております。以後、よろしくお願いしますね」


スケイルさんは丁寧な自己紹介をした。ナナシさんは腰に長い剣を携えていた。スケイルさんは杖を持っていた。


「その剣は?」

「太陽の剣よ」


ナナシさんの答えはいつも通りあっさりしていた。前日、あの後夜中に取りに行ったのだという。何と言うか、彼女はやることが違う。
それから他の探索も行っていたのだという。祠やら神殿やらに寄ったりしていたらしい。


「朗報よ。エージスが全快したわ。サーショにいるらしいから、これから会いに行くつもりなんだけれど、一緒に行く?」

「いや、俺が会う必要あったらあいつから会いにくるだろ」

「それはご尤も」

「もう行くの? 少しくらい、休まない? ほとんど寝てないだろ?」

「いいの?」

「むしろ俺にはこれくらいしかできないしな。エージスになら、明日だって会えるさ。俺たちも明日にはサーショだし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


ナナシさんがシイルで強敵と戦った時からほとんど一睡もしていないことには、気づいていた。俺にはそんな彼女に休息を勧めることくらいしかできない。

俺は、ぼんやりと月を眺めながら、すぐ側のナナシさんの笑顔を、思い浮かべていた。

翌日は、予定通りサーショに到着した。滝の流れる河の近くを通り過ぎると橋の修理が終わっていた。

四人で街に入る。詰所に以前と変わらぬ姿のエージスがいた。


「お、砦で助けてくれたお嬢ちゃんと王子さんがセットとは、また意外だな」

「それは、どうも」


俺たちは詰所に入った。
エージスは早速、自分の身にあったことを教えてくれた。彼が城を出て間もなく、竜人達に襲われたようだ。彼に太刀打ちできない相手ではなかったが、見ただけで格が違うとわかるリーダーらしき一人が娘のメアリーを人質にとったと言ったのだ。ようやく、エージスが捕まった経緯に合点がいった。


「間違いないな」


俺は、呟いた。え、という視線を感じる。


「城に、内通者がいる」


俺は、これまでのことをまとめたノートを差し出した。エージスがそれを読み終わるのを待って、俺は続けた。


「連携がうまく行き過ぎてるんだ。なんで、ピンポイントにエージスだけを狙えたのか疑問だった。
 エージスが街まで使いを出して城に残る可能性だってあったし、リーリルあたりまで一人にならなかった可能性だってある。にも関わらず、奴らは的確にターゲットを捕まえた」

「魔王が情報掴んでて、待ち伏せしてたんでしょうね。内通者の存在は割と今更だわ」

「待ち伏せをすればいいだけなら、エージスが連れていた奴を間違えて捕まえててもおかしくないんだよ。だから、奴らはエージスや他の奴らの外見をはっきりと把握していたはずだ。
 それに、娘を人質に取られたってことは、逆にいえば奴らは彼女を人質に取れるんだろ?」

「メアリーを人質に取れる立場ってことね。しかも、エージスの外見的特徴や実力を把握した上で、敵は少しの犠牲なら厭わない襲い方をした。
 少し情報を垂れ流せる程度の立場じゃなくて、かなり上位に、内通者がいる、ということね」


俺は頷いた。メアリーの名前が知れている時点で、それには十分気付けた。


「とりあえず、間違いなくこちら側のメアリーの無事だけでも、確保してくるわ。招待状、使わずにとっておいてよかったわ。多分一人になるから、スケイルはここで待ってて」

「わかりました、どうかご無事で、ナナシ様」


エージスが簡単に書いた手紙を受け取り、ナナシさんが駆け去って行く。太陽の剣は、何故か置いて行った。

なんてことだ。そんなはずは。
だが、これまでの行動から、一番合致するのは。


「親父だ」

「へ? 王さんが、どうしたって?」


エージスが横から尋ねる。


「内通者、たぶん、親父だ」



      9



ほどなくして、メアリーが街に現れた。

しばらくしてから、ナナシさんが戻ってきた。


「その顔は、気付いた顔ね」


ナナシさんは俺の表情を見て、全てを察したようだった。


「謁見したのだけれど、あの王様、シイルを襲った奴らの指揮官に匂いがそっくりだったわ。討伐隊も組ませないで、しかも単独で行かせたのも、王様とあいつが同一人物なら、納得がいくわね」

「……たぶん、親父が殺されて、あいつが入れ替わった。こういうことだな」

「ええ、きっとね」


何となく想像はついていたが、確証があると辛い。


「元々、剣よりもフォースの方が得意なのだけれど。シイルで戦ったあいつには、私のショートブレードは弾かれた。つまり、そういう事よ」

「魔王、ですね。恐らく、賢者サリムの前に現れた魔王と同一人物と考えていいでしょう」


スケイルさんの言葉に、ナナシさんが頷いた。


「太陽の剣を持っていかなくて正解だったわね。太陽の剣を差し出した者には二万シルバの褒賞が与えられるって触れが出てたみたいなの。
 たぶん、剣が奪われて、私が殺されてたわ。あいつにはシイルで顔覚えられてるもの。さっきも殺されてたかもしれないけれど、咄嗟に転移でここまで逃げたわ」


同一人物でなくて、俺が魔王の血を引いてなくて、俺は心底ホッとした。


「次は、城に殴りこむわよ。私一人での太刀打ちはできないけれど、スケイルと二人でなら、勝ち目はあるわ。行きましょう」

「はい、ナナシ様」


ナナシさんが立ち上がる。スケイルさんがそれに倣う。


「俺も、連れてってくれ。太陽の剣を失うんじゃなくて、俺を連れてきたことにして城に入る方が、安全だろ」

「無謀なことを言わないで。あなたがどうなるか、わからないでしょう」


とナナシさんは嘆息して、一度アルバートを見て、肩を竦めて再び嘆息した。苦笑の混じる表情をしていたが、どこか晴れやかだった。


「……と言って、聞きそうにもないわね。あなたのお父さんの敵よ。最後まで見届けたい気持ちは察するわ。
 アルバート、あなたが太陽の剣を持ってて。絶対に、アーサを守り抜いて」


アルバートが、強く頷いた。彼は太陽の剣を預かり、腰にかけた。


「エージスは、この街にいて。
 イシュテナにも言ったけれど、シイルが襲撃されたってことは、他の街にも同じ事が起きかねないわ。だから、少なくとも太刀打ちできる人がいた方がいいわ」

「まともに太刀打ちできる武器、ねーけど?」

「武器がなくても、抑えている間に他の人に助けを求めることができるわ」

「それもそうだな」


エージスは頷いた。
『俺一人欠けたくらいで全滅しちまうよーな隊に育てた記憶はねーよ』とは彼の科白だが、現実として不在時に全滅されたらたまったものではなかっただろう。彼が死んでも、次に指揮をとる人物がいるから言える言葉だ。


「さあ、行きましょう」


ナナシさんは杖を抱えてまっすぐに歩き出した。
俺はその後に続いた。

ほどなくして、城に辿り着いた。
城門で、ナナシさんはまず見張りの兵士にこう言ってのけた。


「行方不明になった王子を名乗る子を見つけたの。さっきから変な言葉を喋る人と話してて何だか怪しいわ。本物かどうか確認したいから、王様呼んできて」


当時は状況が状況だったが、今となっては間違っちゃいないのが笑える。俺はアルバートと顔を見合わせた。

先ほどの砦の件で現れたのに、また来たのかと兵士達が喫驚しているのがわかった。
早く! とスケイルさんが怒鳴ると兵士が城にむかい、駆け足! とナナシさんが怒鳴ると彼らは走り去って行った。
どうしてこう、女性って何か色々と凄いんだろう。

俺はアルバートと再び顔を見合わせた。


「……女が時々敵に回してはいけない恐ろしさを持つのは、どこの世界も変わらんな」


この言葉が通じたのは、もちろん俺しかいない。
アルバートが俺にしか言葉が通じないのは、この時だけはちょっと羨ましかった。

しばらくすると、近衛兵を連れた父――魔王が、現れた。

思えば、何故今まで気付かなかったのかと言うほどに、それは俺の知っている「親父」じゃなかった。魔王退治のあり方への違和感もそうだったが、母と三人で過ごしたあの日々にあったような、笑顔すらなかった。それがいつからかはわからなかった。

どこかで、このまま民の一人と接することもなくぼんやり生きて、同じくらいの年齢の適当な女の子を妻にして、俺の次の王子や王女になる子供ができて、王様になってただの象徴として君臨するだけの、親の完璧すぎる道筋に嫌気がさしていたのかもしれない。何より、それに従うことを甘んじて受け入れている俺自身への苛立ちが、父への反抗心に繋がっていた。
いつからか、その反抗は、俺と父との会話を、減らしていた。

俺は、最低な息子だ。
ずっと近くにいたのに、父の死すら、知らなかった。僅かばかりの反抗心で、それに気付くチャンスすら、逃し続けていた。

決着をつけることが、平和を手に入れることが、争いに疲れた大地を癒すことが、父への償いに、なるのだろうか。


「お父さんとの会話は、いらないかしら?」

「……そいつ、俺の父親じゃねーもん」


振り返って俺に尋ねて来たナナシさんに、俺は即答した。父との、決別の瞬間だった。


「家出して数日後に帰ってきた息子に名前のひとつも呼ばねー奴、親父なわけないじゃん」

「それは、ご尤もね。わざわざ連れて来たその衛兵達も、竜人の上級兵ってところかしらね」


彼女は静かに杖を抜いた。スケイルさんが祈りの短剣を、アルバートが太陽の剣を手にしていた。俺も、念の為にと一振りの剣を渡されていたので、彼らに倣って抜いた。あとで聞いたが、聖なる月の剣と言う伝説クラスの剣らしい。


「何故貴様、生きていて……。あの時殺したはず」

「そんなに私が生きてるのが怖いなら、死ぬまで私を殺し続ければいいだけのことよ?
 誰の仇だとか、そんな細かいことはやめにしましょう。
 魔王、あなたを殺りにきたわ」


俺の父の、先に散って行った若く優秀な戦士達の、預言者ウリユをはじめとするシイルの民達の、
仇。

魔王が、周囲の衛兵が、その正体を現す。
戦いの時が、始まった。



      10



まず先に自分の部下を放つという手法は、シイルの時から変わらなかったらしい。

魔王が部下を引き連れたのを確認した時点で、スケイルさんが密かに増幅を重ねた強力な雷光のフォースで一掃した。彼女にさほど消耗した様子もなかった。


「ナナシ様のお手を煩わせる前に」


スケイルさんの口振りは、まるで長くナナシさんに仕えて来た従者のようだった。


「前座など不要、か」


魔王が笑い声をあげたようにも思えた。


「貴様、二度と我の前に姿を晒せぬよう、殺し尽くしてやるわ」

「望むところ」


ナナシさんがゆっくりと前に出て、何かのフォースの力を叩きつけてきた。あとで知ったが、これが波動とらしい。知ってはいたが使う人は初めて見た。
アルバートが太陽の剣で斬り込んだ。攻撃は最大の防御、と言うことだ。

魔王がそう呼ばれるに相応しい強力な雷光のフォースや剣による攻撃をあびせてきた。
俺が回復、と言う言葉を思いつく前にスケイルさんは集中力をかき集めて回復のフォースを発動させた。雨癒というものらしい。

その後も戦いが続いた。ナナシさんがフォースで、アルバートが剣で攻撃し、スケイルさんが回復や援護を延々と繰り返した。
弱点は、守りを固めていないことだった。フォースの耐性が弱いスケイルさんが集中攻撃を食らうと、最悪生命線が絶たれかねなかった。

俺に気付けたくらいなのだから、魔王が気付かないわけがなかった。魔王が素早くスケイルさんに剣を振りかぶった。
俺の集中は、ぎりぎりのところで間に合った。自分を守るためだけに使ってきた、守護のフォース。使用者の能力を問わず、同じ効果を期待できると聞いて、リーリルで迷わず購入したものだった。


「グッジョブよ、アーサ。さあ、このまま一気に畳み掛けましょうか」


ナナシさんが杖を握ったのがわかった。後で知ったが、この杖には、市販されている集中の腕輪の三倍近くは集中力を格段に高める効果があるらしかった。
ナナシさんが集中を高めているのが窺えた。俺はすぐさま守護のフォースで彼女を守ってやった。それが、俺にできる唯一で最大だった。

魔王にとって一番有効な攻撃手段に気付くのに、俺ら全員が一手遅れていたのはまず間違いなかったと思う。
今思うと、何故魔王がここまでの戦いの間に一度たりともそれをしなかったのか、甚だ疑問なところであるのだが。

俺だ。守護のフォースで援護することしかできない、非戦闘員の、俺だ。
まさか魔王が俺が何の力もない非戦闘員だと分からないはずがなかった。
俺が少しでも戦力になると魔王に判断されていたなら、まず真っ先に俺を魔王退治に派遣しただろう。俺が死ねば、国の跡継ぎも不在、しかも王子の仇討ちというかなり大きな大義名分を掲げられる。もちろん、もしそうなったら討伐隊の結成を要請したし、拒否されても仲間内で行っていたが。

誰もが、その俺を守るようにして戦っている。ナナシさんなど、その場を動かずに攻撃を受けては回復を繰り返すことで俺に影響が及ばないようにしているし、アルバートが俺を守るために戦っているのはわかっていた。
つまり、俺を狙えば、攻撃の軌道が反らせる。ナナシさんの最後の攻撃に合わせて自分に注意を反らすために動いているアルバートは大幅に動きを変えなくてはならないし、ナナシさんは集中が途中で途切れるかもしれない。

俺が魔王の攻撃の矛先が自分に向いていることに気付いた時には、集中が間に合わないと直感した。集中にかける時間は、やはり世にいるフォース使いには負ける。
いち早く気づいたアルバートが慌ててこちらに向かう姿が見えた。

俺は、咄嗟に聖なる月の剣を魔王に、我武者羅に突き刺していた。その瞬間の魔王の眼光が、忘れられない。
間に合ったアルバートが魔王の背後から斬りかかり、その巨躯を跳ね飛ばした。鷹眼。身体や武器の負荷が大きいから、あまり使いたくはないと言っていた技だ。
集中を重ね、増幅を重ねたナナシさんの極限まで威力を高めた火炎のフォースが、魔王を物言わぬ燃え尽きた骸と化した。

――終わった。


「アーサ、大丈夫か?」


アルバートが駆け寄る。
怪我はないか、と尋ねられて、初めて自分が僅かばかりに怪我をしていることに気付いた。魔王の剣が少しだけ腕を切っていた。


「大した怪我じゃないけど、スケイル」

「はい、ナナシ様」


スケイルさんが指示に従って雨癒を使ってくれた。一瞬で俺の怪我の傷口が塞がった。後で知ったが、このフォースは彼女にしか扱えないらしい。


「終わった、な」


俺は低い声で呟いた。


「そうね、あなたの旅は終わったと言っていいかもね。この後は、どうするの? 城に戻る?」

「いや、しばらくサーショに留まるよ」

「何故? 王様がいなくなった国を、まとめるのは王子様の大切な仕事じゃない?」

「『実は王様と魔王がすり替わってて、本物は魔王に殺されたんだ』。
 いきなりこんなこと言われて、誰が信じるんだい?」


俺は肩を竦めてみせた。変な言い方だが、珍しくナナシさんが黙りこくった。


「サリムの件だってまだ解決していないし、まだ城の内部には魔王の部下が紛れ込んでるかもしれない。この戦いに付いていって言うのも変だけど、俺はそんなところに身を置けるほど無謀じゃないよ。誰が信用できるかもわからないのに四六時中アルバートに護衛して貰うのも無理があるし。
 それにさ。
 『王子が王様を暗殺して王位を強奪した』
 こんな噂が魔王側に流されたって、俺は反論できない。だから、しばらく『王子』は潜伏してようと思う」

「それも、一理あるわね。アーサの判断に、任せるわ」


恐らく城に行ったら、もう戻ってこられないと俺にはわかっていた。

また、君に会いたいんだ。
これでお別れにしたくない。

その言葉を、俺は飲み込んだ。



      11



翌日。城を出てから、八日目のことだった。
サリムの件の解決にと、ナナシさんはスケイルさんを伴って封印の神殿に向かっていった。

これ以上やることも思いつかない俺とアルバートは、武器を返却してそのままサーショに滞留した。アルバートがサーショの町内に興味があるようなので、しばらく観光して回っていた。


「ここには剣やそれに近い武器しかないんだな」

「それ以外の武器ってあるの?」

「俺のいた世界にはな」


長い棒の先に刃が付いた槍という武器などがあると、彼は教えてくれた。棒の部分を両手で持ち、主に突いて攻撃するのだという。あまり武器のことには詳しくないが、その気になればすぐに作れそうなものに感じた。重量や威力などは、色々計算したり試行錯誤が必要なのだろうが。

他にも弓や銃と言った武器が存在するのだという。
こちらは説明して貰っても、俺にはよくわからなかった。サーショの詰め所でエージスたちと話しても、彼らも今一つ分からないと言う。


「まあ、武器を飛ばして攻撃するという概念がないのだから、わからなくても仕方ないだろうな」

「武器を飛ばすってどういうこと? スケイルさんが持ってたみたいな短い剣を、投げるみたいな?」

「まあ、そんなところだな」


アルバートはそう言って、しばらく町を出た。戻ってくると、彼は木材などを手にしていた。


「それ、どうするの?」

「まあ、見ていろ」


俺は素直に頷いた。彼はしばらく木材を削って細くしていた。周囲の兵士やエージスも興味深げにそれを見ていた。メアリーもその光景を遠くから眺めていた。
アルバートは真ん中で曲がっている形に作り上げた。器用なものである。それから、どこで手に入れたものなのか、糸を結って太くし始めた。後で聞いたが、野犬の死体から毛皮を採ってきたのだという。


「こんなものか。原始的だが、まあこれでも使えんことはないな」


先ほどの真ん中で曲がった形になっている木材の両端に穴をあけ、彼はそこに太くした糸を通して小さな杭で固定した。それから、少し太めの枝をいくつか選び、余計な葉などを落としてまっすぐな棒状にした。


「即席だが、まあ、弓はだいたいこんな感じのものだ」

「どうやって使うんだよ?」


エージスが尋ねた。確かに、意味の分からない形状をしていた。
アルバートは普段エージスが部下をしごいている地下の練習場に向かった。俺たちはその後に続いた。そこには練習台として兵士たちが使うような丸太がいくつか並んでいる。彼はそのうちの一つを丁寧に壁に立てかけ、反対側の壁に向かった。


「危ないから俺の後ろにいてくれ。前にいると怪我をする」


彼は兵士たちに注意を呼びかけた。
アルバートは弓を右手に持ち、曲がっている中心を握り、まっすぐ前に掲げた。


「この棒が、矢だ。普通ならこの先端に、手ほどの大きさの刃が付いている」


そう言って、更に左手に矢を持った。彼がここに刃が付いていると言った方を右手で持っている中心にあわせ、左手で反対側の端と弓の糸を握り、強く引いた。


「行くぞ」


アルバートが呟いた。瞬間、彼が左手を離した。ひゅん、という音とともに矢が飛び、練習台の丸太に刺さった。弓の糸が、反動で音を立てて揺れていた。
その場にいた全員が驚いて、丸太の方に駆け寄った。丸太には、矢が突き立っていた。


「今のが、弓って奴なのか?」

「正確には、この矢と一緒に扱うので、弓矢と呼ばれるがな」


エージスの問いに、アルバートが答えた。


「戦いの場では前に出る奴はあまりこれを使わない。剣と違って受け身の態勢がとれず、防御が出来んし、盾も持てないからな。従って、一人で戦うような場合にはあまり向いていないが、遠くの敵に攻撃する時に便利だ。俺の世界にはフォースがないが、これがその代わりみたいなところはある。
 うまい奴だと、俺からあの丸太くらいの距離の敵なら簡単に急所を狙えるな」


アルバートが首元や額を指さして説明した。
しばらくエージスや向上心のある兵士たちが、試しに使ってみてもいいかとアルバートに尋ねていた。丸太に当たるどころか真っ直ぐに飛ぶ者もほとんどいなかった。アルバートの技術の高さを窺えた。


「初めからうまい奴なんていない。俺もガキの頃から相当練習したぞ。勿論、力もある程度は必要だが、技術や器用さが左右されることが大きい。遠くが見える奴も得意な奴が多いな。力が足りずに剣がうまく行かなくてもこちらがうまくいく奴もいる」


うまく行かないと嘆息した兵士に、アルバートがそう苦笑した。


「ふぅ、面白いものを見せて貰ったぜ。あいつらも楽しそうにしている。ありがとよ」


エージスは、楽しそうな表情をしていた。
剣しか知らない人生を送ってきた俺たちにとって弓の存在は衝撃的なものだった。当時は俺の三倍ほどの年齢だったエージスにとっての衝撃は、計り知れないものがあった。後で聞いたが、やはり武術のことでこれほどの衝撃を受けたのは人生でも初めてか、それに匹敵するほどに久しいことだったという。

兵士たちはアルバートに教わった通り弓を使っていた。遊び半分の者もいれば、あまり剣術の成績がよくないのか本気で取り組んでいる者もいたという。中には、アルバートのものを真似て弓を作ろうと試行錯誤していた兵士もいたらしい。その結果ガランに鍛冶を依頼する者が現れたが、それは少し後の話だ。


「楽しそうだな」

「ああ、そうだな。俺にとって、初めてお前がフォースを使っているのを見たときが、ちょうどあんな感じだった」

「なんか、ちょっとだけアルバートの気持ちが分かった気がする。
 でもさ、楽しそうだけど、本当は物騒な光景でもあるよな」

「確かに、な」


アルバートは苦笑して肩を竦めた。
それから、急に真顔になって続けた。


「だが、国を守る為に、兵は強くならなければいけない。たとえ、竜人がこの国にとっての脅威でなくなったとしても、だ」


一瞬、言っている意味がわからなかった。
俺がその意味を理解する前に、彼は先を続けた。


「いいか、アーサ。お前は王になる男だから、言っておく。
 俺のいた場所では、戦争は人間同士で行われていた。戦う奴だけじゃなくて何でもない一般市民までそれに巻き込まれ、巻き込まれた多くが戦場となった故郷を離れ、遠く安全な町まで避難したりした。俺は、その多くの一人だった。
 だから、人間だから、竜人だから、敵になるとかならんとかは、違う。たまたま人間と竜人に分かれてた。ただそれだけの話だ。それに、正義は勝つなどという綺麗事は成り立たん。強い者が勝つ。今までたまたま人間が強かっただけだ。竜人にとっては自分たちが正しいんだろうしな。
 お前は王として、国を、民を守る立場の人間だ。だから覚えておけ。それは物騒なことかも知れないが、強くないと守りたいものを守ることもできない」


ナナシさんの科白が蘇る。

『何の罪もない子供を、竜人だからと言う理由で殺してるようなら、どちらかの種族が滅びるまで、私たちは互いに殺しあわなきゃいけないでしょうね』

まさか、と思った。
違う世界から来たアルバートが違う視野でものを見ているのはわかっていたが、ナナシさんもまた、この視野を持っているのではないかと、この時初めて気付いた。

竜人と人間。どちらが滅びても、変わらないのかもしれない。残った方は、また同じ種族同士で別の争いを始めるだろう。それも、恐らく些細な理由で。それは、今種族で分かれた争いをしているより、ずっと哀しいことだ。

俺は、何も返すことができなかった。



      12



ナナシさん達が戻ってきたのは、日が沈んでからのことだった。


「サリムの意志の強さに感謝するばかりね」


ナナシさんはそう切り出した。いつも通り、よくわからないところから話し出すが、今回ばかりは朗報に近いことを示していた。


「魔王になる直前、ぎりぎりのところで彼の精神を引き戻せたわ。と言っても、身体は人間の面影はイシュテナと同じ色の髪くらいなもので、竜人そのものだったけれど。
 封印の神殿に行ってくれてたのも、助かるところね。……彼が本来の状態で暴れてたら、私も殺さざるを得なかったと思う」


手加減してサリムに少し攻撃を加えることで、彼の意思を戻せたのだという。どうしてかはわからないが、それ以後サリムが精神を蝕まれることは一度もなかった。


「そうか。じゃあ、サリムは、竜人になったとはいえ、無事なんだ」


竜人との和解。
俺の中にその言葉が走っていた。それが実現できれば、竜人になってしまったサリムがリーリルで家族と平和に暮らすことだってできるのに、と。遠い道のりを乗り越えないと会えないなんて、悲しすぎる。


「ナナシさん、これからどうするの?」

「まだ、やることがあるの。それを実行するわ。思った以上に封印の洞窟で力を使ったから、今日は休むけど、明日からね」

「そっか」


ナナシさんは、宿の隣の部屋に泊まった。彼女たちは消耗した分を取り戻すとすぐに部屋を引き払ってしまっていた。俺は、何となく眠れず、外に出てぼんやりと星空を眺めていた。

一人の、老婆が近付いて来た。黒いフードに身を包んでいた。フードから見える髪は白いものが多かったが黒いものも混じっていて、元々は黒髪だったことを窺わせた。
ひっひっひっと笑いながら近付いてきて、いかにも怪しかった。俺がこの老婆を無視できなかったのは、彼女が何故か哀しそうな眼でこちらをみていたからだった。


「俺がどうしたの?」

「あたしはただの路地裏の占い師さ。こりゃまた、随分と過酷な道を歩むことになる王子さんだねぇ……」


分かってるよそんなこと。
そう言い返そうとしたら、老婆はわざとらしく咳払いをした。実際に咳ではなかったのは、やむのが驚くほど早かったからすぐにわかった。


「すまんね。普通の奴には見えてるものには逆らえないから、いつもは人の未来に口出しなんてしないんだけどねぇ。あんたをみたら、つい言っちまったよ。
 ババァの戯言だと思って、忘れちまいな」


老婆はそう言って、街中に姿を消した。

普段口出ししない方がいいことがあるくらいによく当たる占い師がつい言ってしまうくらいに、俺の未来は酷いものなのか。

そんなことを思ったが、今の自分の状況がなかなかに酷いものなのは分かっていたので、深くは考えなかった。

日が変わった頃に、雪が降り始めた。
雪は、不吉な予兆である。かつては魔王が復活した際に降ったらしい。魔王が倒され、もう一人の魔王はもはや人間の脅威ではなかった。何故雪が降ったのか、俺が知るのはもう少しだけ後のことだった。
夜も遅いのでそろそろ部屋に戻ろうとした頃に、ナナシさんが一人で宿を出てきた。


「アーサじゃない。こんな夜遅くに、何を?」

「眠れなくて。夜風にあたりにきたら、雪が降ってたんだ。雪って、冷たいんだな。ナナシさんは? 宿を出るならスケイルさんと一緒かと思ってた」

「ふと目を覚ましたら外に雪が降ってて。ちょっと見にきてみたら、あなたがいたの」


それから俺たちは、しばらく雪を見ていた。
ナナシさんと一緒にいるとドキドキするのに、その一方でひどく安心する。初めて会った頃から、そうだった。


「ナナシさんは、旅の目的が果たされたら、どうするの?」

「帰るべきところに帰るだけよ」


ナナシさんの帰るところが、近ければいいと、ふと思った。
――そしたらいつでも彼女を迎えにいけるのに。
そんな気持ちが、どうしようもなく胸の中をひしめいた。

本当は、わかっていた。
故郷とか、その地名を出さなかった時点で、彼女の帰るべき場所は星や雲くらいに遠くにあるのだと。そう簡単に迎えにいける場所にないと。
本当は、わかっていた。


「不吉な予兆っていうから、雪って不気味なものなんだと思ってたよ。綺麗、だな」

「そうね。綺麗ね。ふふ、冷たい」


降り注ぐ雪を見ながら、ナナシさんは柔らかな声で笑った。その横顔が、どうしようもなく綺麗だった。

ふと、気付いた。
俺は彼女のことを、何ひとつ知らない。彼女の旅の目的を。何故魔王についてあれ程アグレッシブに調べて回っていたのかを。
俺の旅の目的と被る部分が多かったから、何も気にならなかった。ただそれだけで。

彼女は、一体何者なのか。

だが俺に、君は一体何者なのかと聞くことは出来なかった。何か、大切なものを壊しそうな気がして、怖くなったのだ。


「そろそろ宿に戻りましょう、アーサ」

「そうだね、ナナシさん」


俺はナナシさんの後に続いて宿に向かう。


「ナナシさん」


部屋に入り、俺は思い切って尋ねた。


「また、会えるかな」

「ええ、きっと」


ナナシさんが部屋に入って行くのを見届けて、俺は部屋に戻った。



      13



夜が明けた頃には、ナナシさん達はもういなかった。

俺はアルバートと二人で宿を出て、雪の降るサーショを歩いた。リーリルに行こうかと提案したが、フォースが使えない彼は肩身が狭いだけだと断った。

バカには見えない服と言う、いかにも胡散臭そうな服を見つけたりしながら、雪の降るサーショを見て回った。
子供達は滅多に降らない雪で遊び、大人達は災厄の前触れかと恐怖した。俺はどちらかと言うと後者だったが、何より驚いたのは、アルバートにとって雪は日常だったということだった。


「雪が降る理由なんて知らないな。寒い日に雨と同じように降るくらいだ」


何故雪が降るのか、と子供のように尋ねたら、アルバートはそう答えた。

詰所には、弓を練習している兵士達がいた。中にはかなりうまくなっている者もいた。エージスも、その兵士は剣術が少し弱かったからと笑っていた。弓をメインに扱う兵士が現れる日も、そう遠くはないかもしれない。

昼過ぎのことだった。

竜人達に争いをやめるように呼びかける声がどこからともなく聞こえて来た。スケイルさんの声だった。
そして、人間との共存を、訴えた。

その声と同時に、雪がやんだ。
晴れ渡る空は雲ひとつなかった。暖かな日差しが、大地を覆った。

春だ、と思った。


しばらくしてから、街に竜人達が現れた。彼らは皆、住人たちに見えるように、武器を街の前で捨てた。


「我らの新たな神から、話は聞いているぞ、人間の国の王となる者よ」


先頭の竜人が、そう言って俺の前に現れた。竜人の性別はわかりにくいが、声で女性だとわかった。


「私はセタ。神の使者として、お前に終戦を伝えにきた。後ほど、神が直々にお前のところに現れるだろう」

「これからこの国は、人間だけのものじゃ、なくなるんだな」

「ああ。隠れ里や他の場所にいた者達も、徐々に街にくるだろう。人間だった魔王サリムは、私と共に来ている。後ほど故郷に送る予定だ。共存など絵空事かと思っていたが、我らの神が命じたのだ。仲良くして、やってくれ」

「ああ、わかった」


セタの後に続いて、サリムが現れた。
サリムは、まさにナナシさんの言っていたようしに変貌していたが、声などは以前聞いた通りだった。

彼は手短に教えてくれた。竜人達には、彼らを統べる神がいるのだと。その神が、数日後に人間達に全ての人間が消えて行く災厄を落とそうとしていたのだと。雪が示していた凶兆は、まさにそれだったのだろう。
それを防ぐために、ナナシさん達が神を止めた。そして、神は死に、スケイルさんが新たな神となったのだという。彼女が神とならなければ、竜人は滅びていたらしい。

サリムは、セタと共にリーリルに向かって行った。


「終わったんだな」

「みたいだな」


それは、アルバートとの別れを意味することくらい、俺にもわかっていた。
喜ぶべきことなのに、悲しかった。

俺はアルバートと二人で、ムーに行った。ムーには既に、救世主を見送るためにと時の扉に多くの村人が集まっていた。


「お別れだ、アーサ」

「そうだな。元気でな、アルバート」


実際の日数より、長く共にいたような気がする。

俺を守るために戦ってくれた救世主は、いつか俺の親友のような存在になっていた。王子なんて身分で生まれてしまったので、友達なんていなかったのだ。


「いい王に、なれよ」


彼は最後にこう言い残し、時の扉へと姿を消した。元いた、世界へと戻って行った。

いい王と言うのがどんな存在なのかはわからない。だが、親友との約束を果たすために、俺は王となる覚悟を固め、サーショに戻って行った。

アルバートとは、それ以後二度と会わなかった。

サーショに戻った俺を待っていたのは、ナナシさんだった。


「よかった、もうお城に戻っちゃったのかと思ったわ」


ナナシさんはそう言って、哀しげな笑顔を浮かべた。


「実は、あなたに別れを言いにきたの」

「別れ?」


俺が聞き返すと、ナナシさんは小さく頷いた。

確かに、そうだ。
俺は城に戻り王となる。そうしたら、旅を終えた彼女とは簡単には会えなくなるだろう。
だけど。


「俺、国が落ち着いたら、その時君を……」


最後まで言う前に、気付いた。
彼女の身体が、消えかかっている。

『別れ』って、そう言う別れなのかよ。


「ありがとう……さよなら」


俺は、消えかかった彼女を、強く抱きしめた。何としてでも、一瞬でも長く、繋ぎ止めたくて。

いなくならないでくれ。
まだ、何も伝えてないじゃないか。

ありがとう。大好きなんだ。愛している。ずっと隣にいて欲しい。
なにひとつ、伝えていないじゃないか。


「ありがとう」


最後まで彼女はありがとうを残し、消えてしまった。

俺はしばらく、その場で泣き崩れた。

彼女がいなくなったからではなく、何ひとつ伝えられなかった自分が、あまりに情けなくて。

世界に春は訪れたが、俺の心はまだ冬のままだった。



      15



後でスケイルさんから、全てを聞いた。

ナナシさんは、竜神による災いを止めるためだけに別の世界から召喚された存在なのだと言う。ただ、アルバートと違い、身体を与えられ、彼女の創造者に言葉を与えられ、特別な力を与えられたのだと言う。だから言葉が通じたのだ。だからシイルで一度死んだのに戻ってこられたのだ。

そして、役目を終えた彼女は、身体のタイムリミットを迎えたのだ。

彼女に与えられた特別な力のひとつが、スケイルさんの存在そのものだった。実体がなかったから姿が見えなかっただけで、ずっとナナシさんと一緒だったのだという。守護霊みたいなものなのかと聞いたら、まあそんなものですねという回答だった。
それから、スケイルさんは人間の姿の実体を得た。だから、彼女は人間でも竜人でもないのだという。元の姿は竜に似ているとのことで、どちらかというと竜人なのかもしれない。だから、竜神になれたのだろう。

そして、ナナシと言う少し不思議な響きの名前は、まさしく「名無し」そのものだったのだという。

彼女は身体と言う器の中に意識を入れた存在だったというが、その意識は、自分の名前すら知らなかったのだ。


英雄がいなくなった日から、もう五年だ。

サリムが亡くなったのは一昨年のことだ。
エージスは退役したが国防の為に日々奔走し、政治の補佐はイシュテナが行っている。俺の護衛はセタがしてくれている。あの時中々思うように矢が飛ばないと嘆いていた兵士が今ではかなりの腕前になって、部下を持っている。

忙しいが平和だった。人の暮らしもある程度は豊かになったかもしれない。
俺は王としてそこそこの支持ももらっている。

だが、それだけだった。
俺が迎えに行きたかったあの子は、いない。



俺が全力で復興させたシイルの街にも、徐々に人が集まるようになった。

かつてシイルに住んでいた人間も多かったが、竜人達の隠れ里が近かったとのことで、住人はどちらかと言うと竜人の方が多い。


セタに伴われて城に向かうのが何度目かは、覚えていない。
俺らは街を出てゆっくりと歩いていた。セタ一人ならもっと速く歩けるだろうが俺に合わせてくれたのだ。

丘をおりてしばらく歩いた時だった。
背後から話しかけられる。


「ねえ、ちょっと道を尋ねたいんだけれど」


俺とセタが振り返る。

そこにいたのは、長い黒髪をポニーテールにして黒いストールを羽織った女性。紫色の瞳が光る。


「どこへ?」


それが誰かを認識すると同時に、尋ねていた。

彼女は俺の元に、駆け寄る。

さよならをしたあの頃と同じように、俺は彼女を抱き締めた。


「あなたの行く、未来へと」



      16



俺とセタは、ナナシさんを連れて城に帰った。

ナナシさんの服装はまるで戦闘向きのそれではなかったが、元々フォースを扱っていたことを思い出すと、あまり気にならなかった。それに、もう彼女が戦う必要のある世界ではないのだ。

沈まない日がないのと同じように、昇らない日もない。

五年かけて復興した国を、一刻も早く見せてやりたかった。俺の作り出した現在と未来に、彼女を連れていってやりたかった。

俺が即位してからは、城に入るのにいちいち招待状を必要とはしなくなっていた。
仕事などで日常的に城に出入りする人には通行証を、そうでなければとりあえず俺か代理の誰かが許可を出せば、監視はつくが入れる形になっていた。何か訴えたいことがある国民は、城門で投書できるようになっている。ほとんどの場合、俺が読んでいる。


城に戻ると、城内に残っていたエージスがまず喫驚した。何が起きたのか分からないと言いたげな顔をしている。
ナナシさんがこの世界にいないことは、もうみんなわかっていたのだ。


「俺も、何が起きたのかわかんない」


俺はそう笑って、城に入っていった。その日の宿がないと言ったナナシさんを連れていく。城下には、小さな宿も設けてあった。
城内に空き部屋があったので、彼女をそこに案内するようにメアリーに言った。その空き部屋は、かつて俺が使っていた部屋だった。今の俺はかつて父が使っていた部屋にいる。

すぐに食事の用意がされる。
同じ食間にナナシさんを呼んだ。王の食事にしては少し庶民的だが、多少量を減らす位で俺は飢えないからその金を別に回してくれと言うのが、俺の願いだったのだ。


「随分、この国も変わったわね。シイルしか見てないけれど」

「あの町は平和の象徴みたいなものだよ」

「ええ、そうね。まさかあんなに立派に復興されているとは思わなかったわ。他の町も、これから行くけど楽しみだわ」

「行こうか」

「いいの?」


ナナシさんの口振りは、あなた、王様でしょうと言いたげだった。今日俺がシイルにいたことをもう忘れたのかと思ってしまう。


「いいだろ、セタ。他でもないナナシさんの願いだ」

「お前は」


セタがかなり盛大な溜息をついた。


「エージスとイシュテナに話はつけておく。ただし、私が護衛として付いていくのが条件だ。帰ってこなかったら困るからな」

「ふふっ」


ナナシさんが吹き出した。楽しいのか呆れているのか、分からなかった。


「アーサ、あなた相当セタに苦労かけてるわね。
 セタとアーサと旅できるなんて、楽しみだわ。のんびりと話もしたいの」


セタがエージスに話をつけるのに、微妙に時間がかかった。
五日以内に戻ってこいというのが、彼がつけた条件だ。

サーショとリーリルを初日で済ませ、翌日にムーに行く。これで二日。二日かけてシイルに行き翌日に帰れば、五日でぎりぎり間に合う。あまりのんびりと観光してられない。
なんて過酷な条件を突きつけるのやら。


「仕方ないわね」


ナナシさんは、そう言って笑った。
彼女の方が俺の立場をわきまえているとセタが苦笑した。

まず、サーショを歩いて回った。変化と言えば、ここにフォースを使う理力兵が新たに加わったことか。あまり大きな変化はない。
ナナシさんはしばらく歩くと、ある民家の場所を付近の住人に尋ねた。すぐに分かったらしく、大した時間をかけずにその民家に向かっていった。

彼女が訪ねた民家には、黒髪の男女が住んでいた。容姿を見れば姉弟なのはすぐに分かる。
かつての馴染みだったのだろう。その姉弟は彼女を見てとても嬉しそうに笑っていた。俺とセタは邪魔しない方がいいだろうと思い、外で待っていた。


「地元では、フォースが得意なことで有名な姉弟だ」


サーショにいることも多いセタが、説明してくれた。


「姉の方は町のフォース塾の講師をしている。子供たちの話題にもよく上っていてな、評判のいい先生らしい。
 弟は新たなフォース開発をしているそうだ。少ない力でもそれなりの効果を発揮するものがほとんどで、護身用のものが中心だ。たまに子供たちや女性、老人のような力のない者を主な対象にした講義もしているらしい」


しばらくの談笑の後、ナナシさんが家から出てきた。彼女の目的は平和になった世界を見て回ることだけではないのかも知れない。五年前の旅の中で出会った人々との再会を楽しみたいのだろう。


リーリルに向かった。既に夕方だった。

休日だったイシュテナや、十一になったセシルと談笑する。数人の助手をとっているクラートは、忙しそうだったので軽く挨拶を交わしただけだ。
サリムが一昨年他界したことを知り残念がっていた。

国一番と俺が思う名医と医者の卵の助手たちが忙しく働き回っていた。その日も、かつては難病と言われていた病気の治療に成功した患者が退院していた。
その姿を見て、俺も感動せざるを得なかった。難病に倒れた母も、報われる。



      17



その日の夜は、リーリルで宿を取った。
何となく、どちらかと同室するのに違和感があったので三人それぞれで別の部屋を借りることにした。


「なあ、アーサ」


食事を終え、俺が部屋に入ろうとしたところを、セタが引き留めた。ナナシさんは先に部屋に入っている。


「どうした?」

「ナナシが何故、『ここ』にいるのか、気にならないか?」


俺も、そのことについてはあえて言及しないでいた。彼女なら、必ずどこかで話すだろうと思っていたからだ。何かあってスケイルさんを探している可能性も、あった。


「気になる。でも、聞けない」

「そうだな。時間をとらせてすまなかった」

「いや、気にしなくていいよ。俺だけじゃないって分かって、かえって安心した」


そう言って俺は、部屋に入った。
外は雨だった。明日にはやむと学者が言っていたが、本当のことだろうか。

俺はしばらく横になっていた。
部屋がノックされたので、ドアを開けるとナナシさんが入ってくる。

ナナシさんは後ろ手でドアを閉めながら、俺を強く抱き締めてきた。俺も、それに答えて彼女の背に腕を回す。唇を重ねる。再び、強く抱き締めた。


「愛しているよ」

「ずっと、ずっと、会いたかった」


……。
………………。


強い幸福感が、ただそこにあった。彼女さえいればそれでよかった。愛していた。愛してくれていた。
それで、十分だった。
なにもわからなくても、いいとさえ思った。


「ねえ、この旅、寄り道ってできるかしら」

「ほんの少しなら、できると思うよ。遠くじゃなければ、町から離れても間に合うだろうし」

「そう、ならよかった」

「君のための旅だからな」

「ありがとう」


そのまま彼女は、俺のそばで眠ったようだった。同じ部屋に二人でいることについて、明日セタになんと言おうか考えたが、彼女がここに来る前に食堂に二人でいればどうにか誤魔化せるだろうと思った。

しばらく、ぼんやりしていた。幸福感の中で、眠ってしまいそうだった。

ふと記憶が、蘇る。


 魔王が最期に放った呪い。
 「自分にとどめをさした者の肉体と精神を魔王にする」
 この呪いで、サリムは魔王となってしまった。


 襲いかかってきた魔王に、俺は聖なる月の剣を突き刺した。
 魔王の鋭い眼光。

 そして、その魔王の眼が光を失う瞬間。


嘘だ。

魔王にとどめを刺していたのは、極限まで威力を高めたナナシさんの火炎でも、アルバートの鷹眼の技でも、なかった。

俺だ。慌てて剣を突きだした、俺のほんの僅かな一撃だ。

魔王のあの眼光。
ナナシさんが再び世界に舞い降りた目的。

コロシテヤル、ナニモカモ……

邪悪で凶暴な破壊衝動を、抑える。

全てが繋がった。
ナナシさんが新たな魔王を殺すために現れたのだと考えれば、納得できる。


気付くと宿を飛び出していた。

雨が打ちつけるのも気にせず、俺は走り出す。
サリムが魔王になるのに四十年以上かかったが、俺はまだ五年だ。しかし、彼と俺では身体能力も意思も違う。
本人の意思が強かったからサリムを正気に戻せたのだとは、ナナシさんの言葉ではないか。

嘘だ、と言いたかった。
俺の中に破壊衝動が渦巻く。
叫んだ。叫びながら、雨の降るリーリルを駆け抜けていた。

どれだけ駆け抜けたかわからない。
いつしか、神の地と呼ばれていたらしい場所に、俺はいた。

夜が明ける。雪が降る。

ああ、そうだ。
俺は、魔王だ。



      18



生まれたときから、俺はこの国に自分を捧げる運命だと決まっていた。

もう五年も、俺はこの国に自分を捧げてきた。世界の平和のために、奔走を続けてきた。
もう、いいよな、とは、思わない。もっと長かった先人たちがいる。それほど疲れてもない。
だが、俺がこの世界を破壊するなら、その前に死んでやりたい。最期まで、この国のために自分を捧げたい。

死ねなかった。
舞い落ちる雪を見ていると、どこか狂いそうだった。何かを壊す前に、壊れてしまいたい。

よい王になれよというのが、アルバートとの約束だった。
その約束を守るために、俺は死んでしまいたかった。この国を脅かすのが、他でもない俺自身だとわかってしまったから。

自分はどうなってしまったのだろう。
サリムと同じように、身体は魔王になってしまっただろうか。どんな容姿をしているのか、自分でもわからない。
心は、辛うじて自分を保っているつもりだが、いつ壊れてもおかしくはないだろう。

いや、そもそも自分って、何だ?

そんな疑問が、渦巻く。
胸に絶望だけがひしめいて、たった一つの希望が、
ーーせめて彼女の手で。


遠くから、ゆっくりと近付く人影があった。

ああ、ナナシさん。君だ。間違いなく君だ。
よかった。俺は、君を覚えていたよ。

降り注ぐ雪の中でみた彼女の表情は、あの日のものとかけ離れていて、ただ悲痛ばかりが残る。


「戻ってきてくれたのは、俺を殺すためだったんだね」


昨日まで持っていなかった剣を持っている。覚えている。それは、俺が魔王にとどめを刺した、聖なる月の剣。

彼女が何かを言っている。何を言っているのか、聞こえなかった。
俺の意思は、あまり残っていないようだった。


「せめて、俺が俺であるうちに。君の手で、俺を逝かせてくれ」


俺はそう呟いて、彼女に近付いた。

剣を握るナナシさんの腕が、震えている。
どうしたんだよ。君らしくないなあ。
俺を、殺しに来たんだろう?

少し、笑えただろうか。
殺してくれといいながら笑うなど、なんと矛盾していることだろう。

俺はゆっくりと近付く。
いつでも殺せるのに。反撃なんてしないのに。

ナナシさんが何か、叫んでいる。
何を言っているのか、ちゃんと聞こえなかった。


「いいよ、ナナシさん。いいから」


俺はそう呟いた。
腕を伸ばす。ナナシさんが持っている剣の柄を、握る。


「ごめんな、弱くて」


柄を引き上げ、刃を俺に真っ直ぐに、刺した。

何故か、暖かかった。自分が倒れるのを、感じる。
ナナシさんが俺を抱えてくれるのが、わかった。
こんなになってしまった、俺を。


「アーサ……アーサ、アーサ」


俺の名前を、叫び続ける、彼女。

ああ、君の声、ようやく届いたよ。
俺、元に戻ったよ。


「ありがとう。もう、大丈夫だから」


俺は、ようやくそう言うことができた。
伝えたかったものを、伝えることができた。
ありがとうを、伝えられた。


「泣かないで、ナナシさん」


笑ってよ、は、言えなかった。

雪がやむ。空が晴れ渡る。
ああ、春だ。

俺が最後に見たものは、晴れ渡る青い空と、
悲しげに涙をためた、紫色の瞳。




  かくて、世界に再び春が訪れた。

  しかしながら、英雄の心には春は訪れなかった。






        One of the End
すー
2012/03/21(水)
12:47:57 公開
■この作品の著作権はすーさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのコメント
どうもこんにちは。初めましてな方は初めまして。
かつてこちらで桜崎紗綾と名乗っていた者で、現在はすーと名乗っている者です。
もっさりした頻度で登場する予定なので、以後お見知りおきを。

このお話は王子アーサの旅を通した成長と、王となった彼の未来を描いた物語です。悪質な結末を迎えてしまって申し訳ないです。

そして、この物語にはナナシの視点で描かれる続き、「Nanashi's side」がございます。
もしよろしければ時間のあるときにでも。

ここまで読んでくださった、全ての皆様に感謝を。

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