シルフドラグーン・0 もう一つのコールサイン |
その場所に光は届かない。母なる地球を離れ幾星霜、最早あの暖かい太陽の光すらここに届くことはなく、人は生きる為に全てを自ら作り出さなくてはならない。 光も、大地も、空気すらも。 新たな母星を見つけ出し、そこに移り住む日を夢見ながらこの仮初めの大地で人々は生活している。 ニューフロンティア移民開拓船ノアホープ。それが地球を離れた----否、逃げ出した人々が作り上げた仮初めの大地の名だ。何隻もの護衛艦に守られた巨大な船が光の差さない虚空の中を静かに航行している。その偉容はまるで暗い海の中を泳ぐ大きな鯨とそれに付き従うコバンザメのようである。 そのノアホープに設置されている多くの----宇宙港とすら言えるほど大きな----発着口の一つに青い地球をイメージした紋章が描かれた一隻の船があった。マザーアースの船である。地球を諦め新天地を目指すニューフロンティアの移民船に、あくまでも地球を取り戻そうとする一団の船がある。いささか奇異な光景だった。 そしてそのマザーアース船への人気の少ない乗降ロビーに一組の若い男女の姿がある。 まだ二十代の半ばであろう事が容易に察せられる歳の割には着こなした軍服に何の違和感もない黒髪の男が、長い金髪を背中に流した女の顔をじっと見つめている。悲痛に歪んだその端正な顔が男の胸中を物語っていた。 女の方も寂しげに微笑みながら男の顔を見上げていた。整った顔立ちながら女性的とは言い難い。ブラウンのロングコートを羽織りマフラーを首から提げたその旅装からしてまるで男性のようだった。だがそれもしっくりとその身に馴染み違和感を感じさせない。男前という形容がどこまでも似合う、そんな女だ。 その姿と優しく光る蒼い瞳を、男は惜別と共に見つめている。 「どうしても行くのか?」 諦念を滲ませた声で男は問う。答えが分かっていても望みを捨てきれない、そんな寂しく切ない声だった。女は困ったように笑っている。 「もう、決めたんだよ……ガーランド少佐。いや、サルマン」 「どうしてだ? 何度も言うが、あんな作戦がうまくいくとはとても思えない。相手はMIDASだぞ。感情なんかない、襲ってくるだけのナノマシンでしかないんだ。うまくなんかいくはずがない。今ならまだ間に合う。考え直せ、シルヴィナ」 この女とは決して男女の仲ではない。互いにそんな優しく色気のある想いなど抱いたことは断じてないとはっきり言える。だが生涯を通して信じられる得難い友、そして戦友だった。 「ならばなぜ奴らに撤退という選択肢がある? 奴らにも生存本能というものがあるからだろう? やる価値はある、そう思うから私は行くんだ」 「価値だと? お前が生まれ育ったこのノアホープはニューフロンティアの移民船だぞ。そんなことはマザーアースの連中にやらせればいい。あいつらはほとんどのドラグナーを抱え込んでるんだ、アホみたいな好待遇に釣られたクソ野郎共をな。どうしてお前が行く必要がある? 地球にはそのゲス共に行かせればいいことだろう」 サルマンには友の決断を認められない。友だからこそ引き留めなければならない。 生きていればまたいつか必ず会える、そう信じるサルマンがどうしても行かせたくないと願う。行かせればもう二度と会う事はできない。 これが死出の旅路だからだ。 シルヴィナとてそれは分かっている。己の行く末も、友の想いも全て分かった上で決めたことなのだ。だがそれを口に出すことはなく、おどけたように笑いながら別のことを口に出した。 「ああ、そんなことも契約書には書いてあったな。だがその好待遇はお前の方が好きそうだと思うが、そう言うお前はなぜ行かない? 来たんだろう? お前の所にも」 「俺は寂しがり屋なんだ。故郷から何千光年も離れた遠い所でMIDASに汚染されて、好きな女の顔も見れずに独りぼっちで死ぬなんてごめんだ」 「相変わらず不勉強な奴だ、一光年も離れていないぞ。だがまあ、言いたいことは分かる」 いかにもこの友らしい物言いに苦笑するとシルヴィナはロビーの向こうへ遠い目を向ける。壁越しにノアホープの街並みを透かし見るかのように。 「私だってそうさ。だがな、ここが私の生まれ育った場所だとしても…… そう言って言葉を句切ると、遠くへ向けていた蒼い瞳をサルマンへと戻した。 「私はやっぱり、地球人なんだよ」 寂しげに笑う蒼い瞳は強い決意に満ちている。サルマンは俯いて目を瞑ると、強く唇を噛み締めた。 この男前の女は一体どこまで男前なのだろう。これが今生の別れとなるのだ。この作戦に赴くということはそういうことなのだ。だというのに、こんな目をされてはこれ以上引き止める言葉など胸の内のどこを探しても見つからなかった。 「……お前が行くなら……俺も……」 「それ以上は言わないでくれ、サルマン。お前がいるから私は行ける。この先MIDASの脅威は少ないと言っても、これからのノアホープに何が待っているのか誰にも分からない。お前が故郷を守ってくれると信じているから、私は安心して征けるんだ」 その言葉にサルマンは再び固く目を閉じる。淡々とした言葉で語られる厚い信頼が胸に痛かった。この信頼だけは裏切れない。例えもう二度と会うことは叶わなくとも。 サルマンは苦い吐息と共に友の望みを受け入れた。そしてその目を開けると精一杯の笑顔を浮かべ口を開く。 「やるからには、勝ってこい……。そしてまたここに帰ってこい……! お前の場所は、いつでも空けておく」 果たされないと分かっている約束。だが、それがきっと彼女の力になってくれることを信じて。 「ありがとう、サルマン」 「約束だぞ。絶対に帰ってこい。また会える日を、俺は楽しみにしている」 そう言ってサルマンは背を向けた。今、顔を見せるわけにはいかない。頬を伝うものをシルヴィナに悟られようとも、そんな無様な姿で見送るわけにはいかない。 その背中に向けて震える声が掛けられた。 「このノアホープとお前の航海の無事を祈るよ。どうか、息災に……」 シルヴィナもサルマンに背を向けたのが気配で分かった。偶然か必然か二人は同じタイミングで足を踏み出し、そして----。 「「グッドラック」」 違えた道は、もう交わらない。 これは、マザーアースの人々に長く語り継がれた一人の英雄----その帰りをただひたすらに待ち続けた愚かな男の物語。 戦いの幕が、ゆっくりと開いていく……。 |
鉄坊
2011/02/03(木) 03:35:08 公開 ■この作品の著作権は鉄坊さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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