Shooting Star |
妹の手紙 ある休日の夕暮れ時。 僕は昨日の授業のノートを開いて復習していた。叔父さんが出かけているので、店番をやりながらだが、残念ながら客足は忙しくなるほどではない。 シーナが血液系の感染病だったことが分かって、初めて周りが彼女をどこか避けていたことに気付いた。彼女が率先してセトさんを説得に向かっていた理由が、今になってようやく理解出来たように思う。 あれから僕は、何となく勉強に手が付かない自分に気付いた。 同時に、医学への想いが強くなり、今の自分が歯痒くて仕方がなかった。 妹を置いてノーザニアを出た時の夢を、ここ最近何度も見るようになった。あの子の主治医があの子を見捨てたのなら、せめて最期を看取ってやりたかったのに、戦争のせいで叔父を頼ってここに行かざるを得なくなった、あの日の夢を。 人は、どうして生きているんだろう? どうせ、すぐ死ぬのに? そんなことを考えていた時、一人の旅人が現れた。 背が高い、金髪の人で、帽子に紫色の羽を付けていた。中性的で、性別がどっちかは分からない。 「エシュター・クレイトン――君だね?」 余計に性別が分からないハスキーな声で、その人は尋ねた。僕が肯定の返事をすると、カウンターに近付いて来た。 「手紙を預かっている。住所がなかったんでね、郵便にゃ頼めなかったのさ」 それだけ言い残して、その人は手紙を僕に渡して、用はそれだけだとばかりに去って行った。 《少年に、心当たりはあるのか?》 心当たりなどは全くない。 僕は手紙の封を切った。 その後の梟さんの言葉を、僕は一言も覚えていない。 フィーリアム―― 忘れるはずもない、妹の字だった。 お兄ちゃんがこの手紙を読む頃には、私はこの世にはいないでしょう。 この手紙を託した旅人さんは、世界中を周っていて、お兄ちゃんにも会えるかもしれないと言うことで、お願いしました。 旅人さんとお喋りするようになった今の私は、明日が楽しみになりました。 今日より、明日の、朝日の方が、満ち欠けする月の方が、窓の外の風景の方が、私には美しいものに映るでしょう。 お兄ちゃんに、会いたい。学校に行って勉強をしたい。町に行きたい。外を走り回りたい。 生きたい。 だけど、それが出来ないのは、私自身が一番よく分かってるんです。 お兄ちゃん、生きて行く一瞬一瞬って、死に近付く一瞬一瞬なんだよね? 私は、死に近付く一瞬が、生きている一瞬に変換されている今の自分が、大好きです。 お兄ちゃんにお願いです。あんなに我儘だった妹の、最後の我儘です。 私の分まで…とは書きません。 ただ、一つ。 諦めないでください。 最後に、私、生きててよかったです。 お兄ちゃん、だいすきです。 親愛なるお兄ちゃんへ フィーリアム・クレイトン その後に続いた日付は、僅か二ヶ月前のものだった。 幼い妹の、顔が、声が、脳裏に浮かんで来る。 僕は袖で目許を当てている自分に気付いた。 …ごめん、フィル。生きるのに理由なんて、意味なんてないよな。生きててよかったって思えたら、それが一番だよな。 僕は、何も考えずに立ち上がった。そのまま、本を探しに棚を覗き始めた。 医学と薬学。直結してないはずがない。薬学の知識なしには風邪薬の処方も、抗癌剤の点滴も出来ないはずだ。 自分がこんなに愚かだとは思わなかった。 まだ、諦めちゃいけない。 フィーリアムが見捨てられた時、主治医への反発から「諦めるなよ」と逆上しそうになった僕が、友人が深刻な病気だと知って絶望するだけなんて、お笑い草もほどがある。 病気だかなんだか知らないけど、治ったことがないだけだ。 僕が戦争から生き延びてまでやりたかったのは、きっと、これだったのだから。 医者が病気恐がってちゃ何も出来ないだろ! 弟を捜す女 ある秋の日だった。 名前も知らない港町。その町に辿り着いたばかりの私は、宿の予約を済ませ、酒場に向かった。 「隣り、構わんか?」 カウンター席で呑んでいた私に、一人の旅人が尋ねて来た。長い金髪で紫色の羽を付けた帽子を被った、背が高く中性的な人だった。 「いいわよ」 「かたじけない」 そう答えて、その人は、煙草に火を点けた。 「他にも席は空いてるじゃない?」 「旅先でちょっと世話になった奴に、似てたのさ。あんたがね」 「…奢るわ」 私は、瓶を手に取って、空のグラスにお酒を注いだ。その人は片手でそれを持ち上げた。 「そいつは学校で勉強してたよ。友達のために生きるって、随分とアツいこと言ってたな。その友達のことを、やたら楽しそうに語ってた」 「ふぅん…」 私はしばらく呑みながら、その人の話を聞いていた。 似ていると言う言葉で、もしかしたら、と思いながら。そんなはずはない、と奇蹟を信じようとする自分を否定しながら。 「面白い奴だったよ。旅の話を聞かせろって奴は数え切れないが、自分から話し出すような奴はなかなかいねぇ」 「…分かるわ。私も、ここ数年は弟を捜して旅をしてるもの」 「その反面、私は目的のない根無し草だ。世界中で行ってない所なんてほとんどない」 私にはそれが羨ましいものに映った。弟が行方不明になるまでは、私も根無し草のようなものだった。 「君の名前は?」 「……アルフィーネよ。アナタは?」 「私に名前はないんだ」 その人の横顔は涼しいものだった。 「いや、むしろ、私の名前は出会った人の数だけある。一人ひとりに、名前を付けてもらっているのさ」 「面白いわね」 私が呟くと、その人は「だろ?」と笑って見せた。 「さあ、アルフィーネ。私の名は?」 「アナタの名前は――アルバートよ」 「それは、弟の名か?」 私は静かに頷いた。その人は一瞬不思議そうな表情を浮かべてから、突然笑い出した。 「ハハッ……! なるほどね、そういうことか。奇遇だ」 それからその人は、何がどう奇遇なのかを、楽しそうに話し始めた。 「さっき私が言った、旅先で出会った、君に似てる面白い奴。そいつが、私をアルフィーネと名付けたのさ」 「その人って…」 「アルバート・ウェスタリスだ。もし君の姓が『ウェスタリス』ならば、かなり高確率で奴は君が捜してた弟だ」 まさか。 「もし、教会暮らしで片目が眼帯の、射撃が得意な大人びた餓鬼に心当たりがあるようなら、センタリア島行きの便の船に乗るといい。あの島のフォーンと言う町の教会を訪ねな。そう遠くないはずだ」 私の姓は『ウェスタリス』だ。 そんな奇蹟、あるはずがないのに。 「奇蹟は、信じるとかなんとかで起こるもんじゃねぇぞ。奇蹟は、自分で引き起こすもんだ。私はただ、持っている情報を伝えただけで、そいつをどう利用するかは君の自由だ。私が会った奴が君の弟かどうかは、保証してやれないがな」 「…ありがとう。私、センタリア島に行くわ」 その人は煙を吐き出しながら、灰皿の上で煙草を潰した。 「折角の奢りで悪いが、今日はもう呑まないでおこう」 「どうして?」 その人は空になった私のグラスに、お酒を注ぎながら答えた。 「今は、私は君の弟だからさ」 流れ星の旅人 夕方が近い。 授業終了を伝えるチャイムがもうすぐ鳴るので、俺は教科書を閉じた。 「今日の授業はここまで。宿題は52ページの問3。明日当てるんで、やっておくように。 じゃ、号令」 生徒の一人が号令をかけた。それを終えて、俺は教室を後にして廊下を歩き始めた。 俺はノーマ学院の魔導工学部を卒業して、その後母校の非常勤講師として教壇に立つようになった。忙しいが満たされた日常を送っていた。 「ガゼル先生」 女子生徒の一人が、声を掛けて来た。俺は振り返って答えた。 「質問か?」 「あの…私、今成績があんまりよくなくて…魔導工学部にも偶然入れたようなものだし。諦めた方がいいのかなあって。先生卒業生でしょ、どう思います?」 この生徒が奇跡的に魔導工学部に入ったような成績なのは知っていた。だが、それが何だっていうんだ。 「おいおい、俺なんてなぁ、一番最初、最下位で入学したんだぜ。…298点だっけ」 「えっ」 驚くのも無理はない。俺だって先生が落ち零れだったらびっくりするし。 「当然ながら魔導工学部に入れる訳がなくて、弱小学部の薬学部に入ったんだ」 初めて入試勉強を始めた時は、問題に何が書いてあるかも分からなかった。 辛うじて字は読めたから、まずは文章の意味から理解するところから始まった。 その後、奇跡的に合格した俺は、勉強を諦めて働くべきか薬学部を取りあえず卒業するべきか考えあぐねていた。 だが、捨子で元不良が学歴(=足を洗った証明)もなく働くこともできず、薬学にも大した興味もない俺には、選択肢を捨てることはできても選ぶことはできなかった。 そんな時、俺は一人の旅人に出会った。 「君、学生か?」 唐突に、そいつは尋ねて来た。 「それをやめるかどうか考えあぐねてるけどね」 「どうしてだ? 試験に受かったんだろう?」 「……成績不良だ。そのせいで行きたい学部もいけねぇしよ」 「問題ない」 俺は、思わずそいつの顔を眺めている自分に気付いた。逆光に当てられたそいつの表情は、帽子の影となって分からなかった。 「0を1にすることよりも、1を10にすることの方が簡単だ。君は既に、0を1にしてるんだ。成績のためにしたい勉強が出来ないんなら、したい勉強のために勉強をすりゃいい。 少なくともそれは簡単な話じゃないが、それぐらいのこともせずに諦めるのは正しいことじゃないぜ」 そうかもしれない、と思った。名前も知らない旅人が何を見て来たのかは分からなかったが、言っていることは耳でも頭でもなく、なぜか俺の身体じゅうに染み付いていた。 「発展途上の奴を切り捨てるほど、この現代社会は腐っちゃいねぇ。詰まらん錘を天秤にかける暇があったら、新しい錘を自分で作ってみな」 そう言って笑って、そいつはどこへともなく去って行った。 綺麗な夕日をバックにして去って行った旅人の姿は、今でも目に焼き付いている。 「それから俺は、再入試のために勉強して、魔導工学部に入ったって訳」 件の女子生徒が、不思議そうな目で俺を見て来る。ま、無理もないか。 「我ながら馬鹿馬鹿しい話だけど、またあいつに会った時に恥かきたくないって思うと意地になっちまって。 魔導工学部に入れたなら、まだいい方だと思った方がいい。成績がどうこうって言う前に、まずは定期テストに向けて死ぬ気で頑張ってみろよ。諦めるかどうかは、自分の結果に直面してから考えるんだ」 諦めるな、などとは俺には言えない。諦めればそれはそれで違う道が開けるからだ。大切なのは、自分が納得できる選択肢を選ぶことではないか。 「…はい! じゃあ私、家に帰って早速復習します! 先生、さようなら!」 女子生徒は笑顔になって廊下を走り去った。何にせよ元気になってよかった。 「宿題はやれよー!」 俺は、その背中に釘をさして置いた。 あの分なら、大丈夫だろう。あの生徒は自分の選択肢をちゃんと拾えるはずだ。 なぁ、旅人さん。 また、あんたの言葉に救われた奴がいる。 流れ星みたいに現れて去って行くあんたは、俺に教えてくれたんだな。 『流れ星に願い事を三回言って叶えるのは、奴等は速すぎるから困難だ』 けど、 『それを達成しようとするくらいに強く願うなら、きっと思い通りになる』 ってことを。 だから俺は、あんたのことをこう呼ぶんだ。 『流れ星の旅人』と―― another story:奇蹟の扉 いつも一緒にいると、気付かない友達の変化がある。 例えばエシュターがそうだな、と思う。 本人に言わせれば、俺だってだいぶ変わってるみたいだけど。 エシュターが変わったのがいつぐらいからだったか、よく覚えてないけど、アルバート曰く、二か月くらい前かららしい。アルバートは自分の観察力を、何か良いことに役立てるべきだと思う。 余りに少しずつ変化していたから、俺が気がついたのは最近だった。具体的に何が、と言われると分からない。けど、何かが変わっていた。 何が奴に変化をもたらしたかなど、俺は知らない。そんなこと知る気もないし、俺も再受験のことしか話していない。その背景に旅人の存在があるなどと、俺は言う気もない。 再受験のための勉強と、退学しないための勉強の両立。 その両立は難しい、と先生に言われたが、当の本人である俺は余り難しいと感じない。最近では授業、バイト、勉強は当たり前になっているのだ。 『0を1にすることよりも、1を10にすることの方が簡単だ。君は既に、0を1にしてるんだ。成績のためにしたい勉強が出来ないんなら、したい勉強のために勉強をすりゃいい。 少なくともそれは簡単な話じゃないが、それぐらいのこともせずに諦めるのは正しいことじゃないぜ』 名前も知らない初対面の旅人相手に、何を意地になっている? 今思えば小さな出会いで、また会うことなどないだろう、と俺は直感している。それでもいい、と俺が思うのは、一期一会を大切にしているとかではない――いや、それも一部分あったかもしれない。自分でも正直、よく分かっていないのだ。 俺は、休日は午前中に図書館に向かい、昼からバイトに行く。 よく図書館でエシュターに会う。参考書代を削ろう、という考えは同じなようだ。 その日の朝も、図書館でエシュターに会った。昼は俺と食べて、店に帰る。昼食に行く店は、基本的に俺のバイト先だった。 「たまにはガゼルも本を読んだら?」 平和な会話をしながら、俺とエシュターはバイト先の小さな料理屋に向かう。アットホームな店長が、いつもどおり優しく迎えてくれるだろう、と思いながら。 「気が楽になるかもよ? シーナだったら面白い本も知ってると思う」 「検討するよ」 「……検討し始めて一ヶ月は経つね?」 いつも通りなかなかに鋭いところをついて来る。 読書なんてまるで興味を持ったこともない。 ただ、ここまで言われるとエシュターやシーナが度肝を抜くくらいに面白い本を見つけてやろう、とかなんとか思ってしまう。物事を勧める時は、勧められるより勧めた方が楽しい。俺だけかもしれないけど。 結局のところ、俺は負けず嫌いなのだろう。 「ちょっといいかしら」 町中で突然、背後から声を掛けられた。知らない声だ、と思う前に、俺は「どうかしたんですか?」、と答えていた。 「この街、フォーンって言うのよね?」 「そうですが…」 「この街に教会があると思うの。どこにあるのかしら?」 旅人らしき服装の、女性にしては少し背が高い人だった。変な意味はなく、純粋に綺麗な人だな、などと思いながら、俺は素直に答えた。 「あの赤い看板の靴屋の角を曲がって、突き当たりを右に曲がれば着きますよ」 この人がどうして教会に向かうのか、などと言う疑問は後になって浮かんだ。別に、それを詮索する意欲もないし、たまに旅人が高い宿を嫌がって教会に宿を乞うこともあるのを、俺は知っている。 俺が話した教会は、アルバートが寝泊まりしているところだ。そこでいいのかはわからないが、どっちみち俺は街にある教会はそこしか知らない。 「ありがとう」 その人は微笑んで、俺が教えた通りの方向に向かって行った。綺麗な笑顔だな、などと意味もなく思った。 ありがとう。 その言葉は、言うより言われる方が温かい気分になる気がする。みんながそれをわかっていれば、この世界はもう少し幸せになるのに。 俺はそんなことを思いながら、女性を軽く見送った。 「今の人……」 エシュターは小さな声で呟いた。 「アルバートに似てない?」 ――なぁ、流れ星の旅人さん。 一人で旅し続けて、寂しくないか? いや、平気だろうな。 旅先で誰かと出会う限り、あんたは寂しくも何ともないだろう。 傲慢かもしれないけど、あんたが俺にしてくれたように、俺も、道に迷ってる人に教えられる大人になりたい。 『奇蹟の扉』の場所を―― Shooting Star -END- |
桜崎紗綾
http://margabrake.web.fc2.com/ 2009/04/16(木) 12:20:47 公開 ■この作品の著作権は桜崎紗綾さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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もげ殿だ! もげ殿が感想に来なすった! 幻想的だなんて、私にはもったいなさすぎる褒め言葉です。一回こういう雰囲気のものを書きたかった…と思っていた現実主義な私は(受かる気でいた)第二志望落ちたくせに大喜びしちゃいました。落ちたなら来るなって話ですけど(笑) 私は卓越とか卓越とか卓越とかしてないですって! その言葉を使う相手はまさにもげ殿ご自身ではなかろうかと思いますぞ! …「てめー何で理系なんだ」と友人になじられたことは何度もありますが。そのたびに「恐縮です」とか言ってました。私は「文系っぽい理系」なんですよーだ。 受験の応援までしてくださって…頑張ります! 最後まで戦います! ご感想ありがとうございます。それでは、このテンションで次の入試を受けてきます! |
Name: 桜崎紗綾 | ||||
■2009-02-14 15:38 | |||||
ID : lCtEZdNo5rM | |||||
おお、と新作を見つけ、おお、と内容に目を通し、おお、と読後感にひたりました。 ずるいぞ桜崎さん、重くなりがちって言ってたのは嘘だったんですね! このお話は三つの短編のどれもが「金髪長身の旅人」を軸として回っており、主観である彼らから見た「旅人」の像が丁寧に描かれていて、しかしそれぞれの主人公に転機を与えるきっかけである「旅人」の詳細についてはまったく触れられていません。そんな捉えどころのない、しかしキッとした輪郭のある「旅人」の存在が物語すべてに幻想的な雰囲気を与えていると思いました。 さらにそれぞれの短編、短いながらも全て上手いこと区切られていて、彼らのその後をイヤでも想像させられます。そしてその未来が輝かしいものであることを微塵も疑わせないのです。この柔らかさ、雰囲気、筆者の技法がいかに卓越しているかを物語っていますね。 受験は大変でしょうが、どうか将来に向かって頑張ってください。 それでは拙い感想を失礼いたしました。是非是非、早い段階で戻ってらしてください。 |
Name: もげ | ||||
■2009-02-14 10:17 | |||||
ID : T6.uWcS0RmU |