男と少女の幻想譚
まぁ、簡単に思い浮かべてもらいたい。

朝――いや、昼でも夜でも構わないんだが。目が覚めたとする。



―――…そこが、見知らぬ場所だったとしたら?



徐々に意識がはっきりしていくまでは、何が起こったかわからないだろう。それから、ようやく驚きを覚える。

必ずとまでは言わないが、一般的に良くある反応のハズだ。ただし、そのような事態は、一般的に良くあることではないが…。



長々と喋ってしまったが、何が言いたいのか?それはつまり―――









          私が、そんな事態に直面した当事者となってしまっているということだ。









男と少女の幻想譚 プロローグ



そこは、男にとって見知らぬ場所だった。
真っ黒――というよりは、暗い空間。視界をさえぎるものは無いが、何も無いというわけでもない。
時折、薄ぼんやりとした発光体がゆっくりと流れていく。

そんな、認識できた主観的な事実を。男は冷静に受け止めていた。そして、しばらく時が流れる。



男は、口を動かそうと意識した。


(――…ここは、どこだ?)


脳内に巻き起こる数々の疑問の中から、最初に選んだことは、それだった。しかし、疑問が解消されることは無い。
それどころか、新たな疑問が姿を現した。


(声が、でない?)


音が、響かない。口の筋肉が動いたという感覚さえない。おかしい、と思い口に手をやろうとして――再び気付く。先ほどと同じ、違和感に。
首を捻ってみる。いや、捻ったつもりだが、やはり感覚が無い。腕、足、胴体、その他諸々。どこを試しても、結果は同じだった。

男は、何も感じない身体を見下ろそうとして――やっと、気付いた。









彼には、身体というものが存在しないことに。









それから様々な事象を試みること数刻。何分、何時間経ったのかは分からない。
たったひとつ。彼にはこの異常事態について何も分からないということだけが分かった。

不可解な事態でも、慣れてしまえばどうと言うこともなかった。発狂するんじゃないか?という疑問も、しばらく現実になりそうに無い。



しかし、いつまでもこの状況が続くことは好ましくなかった。何より、彼には


(………やらねばならない、ことがある)


それだけは、強い意志を持って断言できた。その事実を認識した途端、存在しない身体から、力が湧いてくるような気さえした。
彼は、現状を変えようと決意した。打開策を開こうと、思考を回転させ始める。しかし、やはり何も思いつかない。

すると、まるでタイミングを計っていたかのように―――優しげな、女性の『声』が聞こえた。



「意識の海を漂うそこの貴方…私の声が聞こえますか…?」



彼は、驚くよりも先に声が聞こえてきた方角を振り返った。
幻覚の類などではない。間違いなく、人影が見えた。いや。正確には、淡く輝く人のようなモノが。
戸惑うことなど無かった。意志が通じた、などとは思わなかったが。彼は、そのモノに向かって、口を開き――


(…聞こえ)
    (あ、はい。聞こえて…?)

「…え?」


突然、違う声が被ってきた。先程の声よりも幼い印象を受ける、女性の声。斜め前方にある、発光体から。
驚きは、三者三様の違う響きを含んでいた。


彼は、少女の声が聞こえてきたことに。

少女は、恐らく彼の声が聞こえてきたことに。

そして、彼が接触しようとした彼女は。間違いなく、彼の声が聞こえてきたことに。何故なら、彼女は『こちらを振り向いたかのように見えた』から。


彼は、混乱しつつある頭脳を抑えながら――ようやく、理解した。彼女は、自分に向かって話しかけたのではない、と。










こうして、彼らの初めての邂逅は始まった。










男と少女の幻想譚 第一話:始まりの一日



数瞬、沈黙が訪れていた。
そして、その沈黙の原因は自分にあるのだろうと、彼は理解していた。会話に割り込んだのは、彼だったのだから。

そう長くない沈黙の後、彼女がゆっくりと口を開いた。


「…私の声が、聞こえているんですね?」

(はい…聞こえているけど)

(………あぁ、聞こえている。私は余計だったようだがな)


躊躇いがちな少女の声に続いて、男は淡々と答えた。表情などわからないが、少女はこちらの方を気にしているように感じた。


「いえ…構いません。折角ですから、貴方にもお話しさせていただきます…」

(………)


男は、沈黙していた。肯定と受け取ったらしく、彼女は再び口を開いていく。


「私の名はリクレール……。トーテムに呼び覚まされし全ての生命を導くものです…」

(リクレールさん?トーテム…?)


少女が、不思議そうな声音で反応を返した。男も同じことを思ってはいたが、質問するまでには至らなかった。
彼女…リクレールは、少女の方に顔を向け直した。


「そのことについては、後ほど説明させていただきます。…その前に、お二人の名前を教えていただけますか?」

(えっと……ミーアですけど)

(………ルインだ)


少女が答え、その後一拍置いて男が名前を答えた。


「わかりました…ミーアさんと、ルインさんですね」


リクレールは、復唱して頷いた。相変わらず、穏やかな声だったが、ルインは思考し続けていた。
この相手に、どう対応していくべきか。


「それでは、本題に入らせていただきますね」









ルインが、リクレールの話をまとめると次のようになった。

まず、リクレールはとある大陸を創った存在である。いわゆる神のような存在だろう。
話によれば平穏な世界だったらしいが、近々…正確には十五日が経過した時点で、世界中の人々に何か大きな災いが降りかかるらしい。
正確な日数まで分かっているというのに、何が起こるのかは分らないらしいから性質が悪い。

ルインは半信半疑だったが、どうももう一人の少女、ミーアの方は全面的に信じている様子だった。


(それで…何が言いたい。まさかその災いを止めろ、とでも言うつもりなのか?)

「…察しが良いですね。その通りです」


ルインの問いは、リクレールを頷かせた。


(でも…私たちにできるんでしょうか?身体もないのに…)

「…必要なものはすべて用意します。いくつか、旅の助けになる能力も差し上げます」

(そうですか…)


ミーアは、どうやら承諾するつもりのようだった。『私たち』という言葉に、まだ返事を返していないルインは渋い表情だったが。


「身勝手なお願いだとは分かっていますが…これまでに説明した私のお願い、聞いていただけますか…?」

(勿論です、私なんかにできることなら…)


ミーアは、迷うことなく真っ直ぐに承諾した。ルインは、黙ったままだった。


「ルインさんは…どうしますか?」


声を感じながら、彼は考えていた。

このままここにいても、何も進展しない可能性が高い。しかし、このリクレールの依頼を承諾したところで、自分に何か利があるのか。

彼は、考えた。考えに考え抜いた。そして、閉じられていた口を開く。


(分かった…。ただし、こちらの願いも聞いてもらいたいものだな。ただ働きする気はない)

「…いいでしょう。私にできることなら…」


その言葉を聞くと、ルインはリクレールに近づき、何やら耳打ちした。ミーアは気になったものの、内容を聞き取ることはできなかった。
短い耳打ちが終わると、リクレールは確認するために一度だけ問う。


「可能ですが…それでよろしいんですか?」

(あぁ、それ以外に望むことはない)

「わかりました…」






その後は、特に問題も起こらずに話は進んでいった。
トーテムを決める時、多少時間はかかったもののルインがクロウ、ミーアがスケイルという事で落ち着いた。
ルインはフェザーかクロウかで迷ったらしいが、自己アピールを聞いているうちに「フェザーの性格はうっとおしい」と、容赦ない一言で切り捨てた。









全てが白い部屋の中で、二人はリクレールの前に並んで立っていた。
今では身体があり、黒髪の長身の青年がルイン、ルインの肩よりも少し低い身長の少女がミーアだ。
外見は、両者とも黒髪と黒い瞳。以前の身体に似た顔立ちとなっている。


「それでは、お二人をシルフェイドの世界へお送りします」
「これからの旅には大きな苦難が伴うとは思いますが…」

「………構わない、とっとと送ってくれ。時間が惜しい」

「そんな言い方しなくても良いと思う…」


無愛想なルインの言葉に、ミーアは抗議の意を込めて呟いた。
リクレールは苦笑しつつも、気にしてはいない様子だった。すぐに穏やかな笑みに戻る。


「……ありがとうございます。意識の海から見つけられたのが貴方達で、本当によかった……」


横から、弱弱しく抗議の視線を送り続けるミーアだったが、ルインは涼しい顔で目も合わせない。


「それでは…後はよろしくお願いします」


リクレールが言い切ると、二人の身体は白い柱のようなものに包まれ――部屋の中から、消えた。
無事に、二人がシルフェイドの世界へと送られた事を確認すると


「どうか…お二人にトーテムの加護がありますように……」


最後に、祈るように呟いた。















「ここが…シルフェイドか」


白い光が消え去ると、二人は森の中に佇んでいた。
木々の隙間からうっすらと光が差し込み、朝方のすっきりとした空気が満ちている。


「…ねぇ、ルインさん」

「…なんだ、ミーアとやら」


背後からの声に、ゆっくりと身体ごと振り返るルイン。
もう一人の少女、ミーアが立っていた。


「これからどうするの?」

「それを考えているところだ。まずは…やはり街を探すのが先決だな。情報が足りない」


同意見らしく、ミーアは頷いた。


「それじゃあ、最初にやることは街に向かうってことでいいのかな?」

「いや……その前にやることがある」

「え?」


驚いた様子で、ミーアは聞き返す。ルインはさも当然といった表情なので、余計に驚きは増していた。


「だって…街に向かうって…」

「気づかんのか?…いや、気づいていないからこそ、か」

『あの、ミーア様…多分ルイン様が仰っているのは恐らく』


スケイルがそこまで言ったところで。ミーアの後方から、草木の動く音がした。
ミーアが恐る恐る振り返ると、そこにいたのは。



汚れきった、灰色の毛皮。
口はだらしなく唾液を垂らし、鋭い牙が口の間から覗いている。
みすぼらしい外見ながら――その眼は、凶悪にぎらついていた。


「あれって……」

『野犬だな…多少大型だが、一匹ならどうということはない』

「…お前もか、クロウ。もう少し感覚を研ぎ澄ませ」


ルインは溜息をつき、呆れ顔になっていた。ルインの反応に、クロウやスケイルも怪訝な表情となったが――数秒後に、ようやく気がついた。


ガサガサと。音が、する。


前から。右から。左から。後ろから。


音は、ゆっくりと近付いてくる。


異変に気づき、ミーアは腰のショートブレイドに手をかけた。
ルインは、剣に手をかけず。ミーアと背中合わせになって立つ。

二人は、音から逃げるようにして、森の中心に立つこととなった。



そして、音が止んだ。






何故なら、草木の中から『彼ら』が出てきた以上、もう音が鳴ることはないのだから。






「あの…完璧に囲まれているように見えるんだけど」

「前後左右二匹ずつ。最初に出てきた分を合わせて計九匹。この森は野犬が大量発生しているのか?」

『そんな事は無いはずなのだが……!?』

『……戦うしかなさそうですね』


冷や汗をかいているミーア。
相変わらず落ち着いた無表情のルイン。
驚愕をふくんだ表情のクロウ。
逃れようのない、事実を口にするスケイル。


野犬たちは、じりじりと間合いを詰める。息も荒く、いまにも飛びかかってきそうだ。

真剣な表情で剣を構えるミーア。背後で、悠然とした態度を崩さないルイン。


「肩慣らしには丁度良い…。やるぞ、ミーア」

「私としては、もうちょっと少なくていいんですけどっ!?」


ふん、と鼻で笑ったルインに対し、ミーアは素早く振り向いて反論し―――それと同時に。



大型の野犬が遠吠えを挙げ、八匹の野犬が一斉に襲い掛かってきた。










男と少女の幻想譚 第二話:最初の旅路



野犬たちは、二人の周りを走り回り、攻撃の機会をうかがっていた。右回りに、左回りにと二手に分かれ攪乱してくる。
ミーアは休みなくそれぞれに目を送り、警戒していた。

―――だが、数に大きな差がある以上、死角ができてしまうのはどうしようもない。


「ガアアアアアッ!!」

「!危なっ…」


横から飛びかかる野犬を間一髪で回避しつつ、その背中に火炎を撃ち込むミーア。
野犬は苦しげに呻き声をあげ、そのまま燃え尽きた。

続けざまに、吠えた二匹目が背後から飛びかかる。
しまった、と顔を歪めるミーアだったが、そこにはルインが割り込んでいた。しかし、剣は抜いていない。


「ルインさん!危な――」


声は、続かなかった。

振り向いたミーアが見た光景は、短い絶叫とともに首を落とされた野犬。
そして、振り向くまでの一瞬で抜刀し首を斬りおとしたルインがいた。眉ひとつ動かしていない。


「遅い。そして、脆いな……この程度か?」


言葉が通じるはずもないが、ルインは小さく嘲笑した。
野犬たちは、その反応に侮蔑の感情を感じ取ったのだろう。殺気が膨れ上がり、一斉に襲いかかってきた。






時に剣で捌き、時に火炎を撃ち込みながら。傷を受けつつも、ミーアは確実に野犬を減らしていく。
時折、ルインに視線を送ったが心配は不要だった。

ルインが剣を一振りするたびに、野犬の首が斬り裂かれた。

飛びかかる野犬をひらりとかわし、剣を振る。ルインの剣が、野犬の断末魔を再び奏でる。

その動作は紙一重で、無駄がなく。ルイン自体の運動量は極めて小さい。戦闘の心得がほとんどないミーアでも、洗練されていることがわかった。



一歩、横に避け。振り下ろす。



それだけの単調な動作で、ルインは四匹の野犬を仕留めた。









「全く、大した事がない奴らだ。所詮は烏合の衆か…」

「あのー…私結構傷受けたよ?」

「それはお前が弱いからだ…」

「………うぅ…」


ルインとミーアは、向き合って話していた。
相変わらず容赦ない辛辣な言葉を浴びせるルインだったが、ミーアは俯いて落ち込むだけで、反論しない。

それというのも、二人の怪我の状態の差が物語っている。
無傷のルインと、傷だらけのミーア。これでは弱いと言われても仕方ない。

二人の周囲には、八匹の野犬の死体が倒れている。
最後の一匹は、他の野犬が全滅した途端、尻尾をまいて逃げ出してしまった。
追う必要もないと感じたので、二人とも見逃してやった。実は、面倒だっただけだが…。


「…まぁ、時間を浪費するわけにもいかない。とっとと街へ向かうぞ」

「………はい…」









そして二人は、サーショの街に向かいながら戦闘の反省会を続けていた。
―――……と言っても、ルインがミーアの戦闘の欠点を指摘するだけだった。


「大体お前は身体の使い方が悪すぎる。重心の移動も乱雑だし、あの火炎も命中精度が低い」

「…理力って意外と難しいのよ……」

『そ、そうですよ!初めてにしては上出来です!』


ルインが口を開くたび、ミーアが落ち込んでいく。どんよりとした暗い雰囲気が漂い始めていた。
必死に慰めるスケイル。


「…そうは言ってもな…たった十五日しかない。これでは…」

『ルイン。スケイルを宿している以上、ミーアの成長も常人を遙かに上回るはずだ。二、三日もあれば見違えるだろう』

「………だと良いんだがな」


クロウも、スケイルと共にミーアのフォローに回っていた。
なんだかんだで、ミーアは野犬を四匹仕留めている。その戦闘能力は、決して低くはない。
ルインもそれは分かっているらしく、口を閉じた。黙って歩く。



しかし、今度は沈黙に耐えられなくなったのか、ミーアがおずおずと口を開いた。


「…あの、ルインさん…」

「……なんだ」


一応返事があり、不愉快そうな様子でもなかったので、ほっと一息つく。
ミーアは、聞きたかった事を聞き始める。


「…ルインさん、いったいなんでたくさんの野犬に襲われたのに、あんなに落ち着いていられたの?」

「…もっと危機的状況に陥ったこともある」


答えてはいるが、答えになっていない。ミーアは諦めず、少し早足に近づいて、問い続ける。


「えっと……それって、元々いた所での話よね?どういうことなの?」

「…お前に話す必要があるのか?人の過去を好き勝手に詮索しないでほしいものだな」

「え、えーっと……でも折角だし、お互いの事を知っておいた方が…」

「………興味無いな」

「あ…で、でも………」


取りつく島もない。気のせいかもしれないが、言葉に煩わしそうな雰囲気が出てきたような感じもある。
それ以降は、特に取り留めもない話題に切り替わった。だが、ルインの反応はあまり無く。ミーアが何を聞いても、いい反応は返ってこなかった。

ミーアは、それからもしばらく質問を続けていた。
だが結局。サーショの街に着いてしまうまで、ルインから話しかけてくることはなかった。















「意外と近かったな」

「のどかな感じ……」


サーショの街の入り口で、二人は口々に呟きあった。それからミーアが顔をルインの方に向け、話を始める。


「これから、この街で情報収集するのよね?」

「あぁ、そうなる。それほど広くはないが、二手に分かれるとしよう……ところで」

「…え、何?」


先に歩きだしながらルインが言った最後の言葉に、ミーアは不思議そうな表情で続きを聞こうとした。
先ほどまでろくに会話がなかったので、ミーアはルインが何を話すのだろうかと嬉しげな表情で期待していたのだが―――


「そこ、危ないぞ……………遅かったか」


ルインの言葉が聞こえるのと、ミーアの身体が背後からの衝撃により宙を舞ったのは同時だった。
『きゃあああぁぁーっ!?』という高い悲鳴が聞こえたが、ルインは我関せずを決め込んで、無視して進んでいった。









「うぅ…こ、腰が……」

『ミーア様、大丈夫ですか…?』

「野犬の引っかき傷より痛い…ルインさん、もう少し優しくしてくれないかなぁ…」

『ああいう性格なんでしょうかね…顔はかっこいいんですけど』

「そ、それは関係ないって…」


ルインが無情にも先に進んでしまった後。
ミーアは痛む腰をさすりつつ、兵士の詰所へと向かいつつ、ルインについても話し合っていた。
時折、スケイルの話が脇道にそれている気がして、引き戻すのに苦労していたが。


『ところでミーア様、何をするんですか?』

「あの兵士さんに会うのよ。あんな危ない走り方してたら迷惑でしょ?下手すれば骨が折れるって」


ぶつかってきて、謝罪の言葉もなかった兵士に一言言ってやるつもりらしい。表情には、僅かに怒気が滲んでいる。
詰所の入り口まで辿り着くと、意を決して、踏み込む。


「あのー!さっきそこで…」

「おぉ!君もうちの隊長の話を聞きに来てくれたのか?!いやー、助かったよ。どうにも人数が少ないと思っていたところでね。ささ、座ってくれ!それでまずは隊長が魔王討伐を任されたところから始まるんだが、つまりそれは…」

「え?いや、あの……」

「…で、王様に呼ばれたのがそもそもの…」

『…聞いてませんね……』

「……………は、話を聞いて…」


勢い込んで入ったものの、あっという間にぶつかってきた例の兵士が詰め寄り、椅子に通されてしまう。
反論しようにも、口を挟む隙がない。先ほどの衝突にも劣らぬ勢いで、一方的に話されてしまう。
それほど神経が図太いわけでもないミーアは、ただ圧倒されるばかりだった。最初の意気込みなどどこかへ行ってしまった。

結局、何も言えぬまま。兵士の長話を延々と聞かされることになるのだった…。






一方、ルインは。


『なぁ、ルイン…もう少し愛想良くしてやってもいいのではないか?』

「ミーアのことか……」


街中を歩きつつ、クロウに諭されていた。ルインは、あまり乗り気ではないようだったが。


『共に災いに立ち向かう以上、関係が悪いのは好ましくないと思うのだが』

「邪険にしているつもりはないぞ。ただ、事実を言っているだけだ。嫌っているわけではない」

『うーむ…』


クロウは渋い表情をしていたが、ルインは構わず歩き回り、そこら中の人物から情報を集めまわっていた。
これまでに得た情報では、武器はここでしか販売されていないこと。賢者や魔王といった存在がいることが収穫だった。
トカゲ兵と呼ばれるモノが主な敵で、人間の兵士の数倍強く、知能もある。気になることはそれくらいだった。


「しかし、剣しか武器がないとは………」

『…どうかしたのか?』

「あぁ、それは……ん?」


ほとんど聞き取れない、独白だったが。鋭敏なクロウの耳には届いていた。
答えようとしたらしく、ルインは振り向いて口を開きかける。
しかし、それよりも早く正面の家のドアが開き、クロウとルインはそちらへと顔を向けた。


現れたのは、一人の女性だった。やや、身体の線が細く、儚げな印象を受ける。
その女性は、立っているルインに気づくと視線をあげ、顔を見た。
そして、戸惑った表情を浮かべる。見知らぬ男性が家の前に立っていれば、当然とも言える。


「…何かご用でしょうか?」

「………」


ルインは、話しかけるわけでもなく。ただ、じっと女性の顔を見つめ返した。
女性はますます戸惑ったようだったが、急いでいるらしく


「あの……すいませんが用事があるもので……。何かご用があるなら、帰ってからにしてください…」


早口にそう言うと、軽く頭を下げて街の外へと向かっていった。
ルインは、その後ろ姿をじっと見送っていた。女性の姿が見えなくなっても、なお。

ルインの奇妙な行動に、クロウは問いかけてみた。


『あの娘がどうかしたのか?武器ももたずに外へ出たのは危険だと思うが…』

「―――……いや…なんでもない」


クロウの声が耳に入って、ようやくルインは反応した。相変わらず、クロウには表情から何かを読み取ることはできなかった。
そのまま、何事もなかったかのように、ルインは街の中央へ向かって歩き出す。クロウも続いた。


「…そろそろミーアと合流しよう。これだけ調べれば、もう良いだろう」

『あぁ、わかった』












「………それで?お前が得た情報は、そこの詰所の兵士の長話と占い師からの助言だけか?」

「そ、そんな目で見ないで…。一応情報でしょ…?」


絶対零度一歩手前の視線を受けながら、ミーアは主張した。とても目を合わせることはできなかったが。
ルインいわく、『前者はともかく、後者は信憑性が無い』とのことだった。ミーアは、『なんとなく信用できそう』と言ってみたのだが、ルインに睨まれて思わず謝ってしまった。


「……もういい、責任もってお前が洞窟に行け。私は少し用を済ませてくる」

「用って、何かすることあるの?」

「あぁ、弓矢の材料を探す。北西の森は広いらしいから、材料くらい手に入るだろう」

「え、ルインさんって弓が得意なの?あんなに強かったのに…」


意外そうに、ミーアは言った。先ほどの戦闘を見る限り、技量は十分だったと感じていた。少なくとも、自分よりはるかに上と思える程度には。
ルインは、憂鬱そうな表情を一瞬浮かべ―――すぐに戻し、答える。

―――その変化は、本当に一瞬で。正面にいたミーアがかろうじて気づく程度だった。


「私は接近戦が嫌いなんだよ…。とにかく、二時間後に再びこの街で合流だ。異論ないな」

「うん…わかった」


ミーアが返事をする頃には、ルインは既に歩き出していた。最初から、返事を聞くつもりは無かったらしい。反論など無いと思っていたのだろう。
黒い衣服をまとった後ろ姿は、すぐに視界から消えていった。


『それじゃあ、私たちも行きましょうか』

「…あ、そうね……」

『…?ルインさんがどうかしました?』


ぼうっとしていたミーアに、スケイルが声をかける。今、思い出したかのような調子で、ぼんやりとした声が返ってきた。
続くスケイルの言葉に、ミーアは口に手を当てて思案顔となった。それから、自信なさげに呟き返す。



「気のせいかもしれないけど……ルインさんってどこかで見たような気が…」



スケイルは、瞬きをした。ミーアが何を言ってるのか、その意味を掴み損ねたのだ。


『…もしかして、以前いた世界で会ってるんですか?』

「うーん…わからない。だったら覚えてそうなんだけど…」


最も有り得そうな――とは言っても、極めて小さい可能性だが――質問をしたスケイルだったが、反応は今一つ。
ミーア自身も、何やら奇妙な感覚らしい。確証も無いためか、小さく息を吐いて話を切り替える。


「ま…いいや。早く行こう、遅れたら怒られそうだし」

『そうですね。私としては怒った顔のルイン様も素敵なので見ていたいんですが…』

「ごめん、同意できない」


スケイルに即答を返すと、ミーアも早足に街から去って行った。
目指すは、北東の洞窟。一人は不安だったが、それとは裏腹に決意が表情に滲み出ている。



二人はそれぞれの目的地を目指し、新たな世界の探索へと乗り出した―――。










男と少女の幻想譚 第三話:訪問



ここは、サーショから北東の洞窟。

洞窟と言っても、一寸先も見えぬ闇、という訳ではない。
ぼんやりと、どこになにがあるか輪郭が分かる程度に仄暗く、淀んだ空気の溜まり場だった。

ミーアは、恐る恐る、ゆっくりと洞窟を進んでいた。
時折、水の雫が滴り落ちる音が洞窟内に響き、その度に驚いて振り返る。


「……怖いね…」

『この洞窟、いるのは蝙蝠くらいです。昼ですし、あんまり過敏にならない方が良いですよ?』

「わかってるけど…。それでも、突然音がしたら驚くよ…」


小さく溜息を吐く。洞窟内の探索を思い出し、憂鬱そうだ。
目の前に白骨死体があった時は大いに驚いて叫んでいた。近くにはシルバが落ちていたものの、拾うには多少の勇気を要したものだ。

何より、これは実は二週目なのである。一度、確かに探索したのだが道に迷った。
何も見つからずに入口へと戻ってしまったのである。

収穫なしで帰っては、予想されるルインの反応が怖すぎた。是が非でも、手ぶらで帰るわけにはいかないのである。
時間に遅れても同じことなので、プレッシャーは凄まじい。


「あぁ、えっと…こっち行ったっけ?」

『多分…行ったんじゃないですか?ホラ、あの壁の出っ張りとか』

「じゃあ、こっちよね」


二人で相談しながらじっくりと進む。スケイルが忠告してミーアがそれを確かめる、といった方法になっている。
蝙蝠は寝てばかりなので、基本的に回避しながら進んできた。
そして、そんな努力がようやく報われたのか。

「…あれかな!?」

『あれですよ!きっと!!良かったですね!』

「ようやく見つかった…これでルインさんに怒られずに済む…!」


ミーアは、ついに地下へと続く階段を発見したのだった。
ちなみにその声は、とても感動に満ちたものであったことを記しておこう。安堵感で、半分泣いていたとも。
さらに暗い地下へと続く階段だというのに、ミーアには天へ昇る道にも見えていた…。









「……まぁ、期待はしていなかったのだが」

『………じゃあ、何で来たんだ』

「……念のためだ、念のため」

『言い訳にしか聞こえんぞ』

「否定はしないさ」


ところ変わってサーショの北西の森。
ルインとクロウは、弓として使えそうな木材を探しつつ、会話していた。ただし、仏頂面で。
理由は簡単。見つからないのだ、材料が。


「そうそう都合よく見つかるなどと思っていた私が悪かった。やはり、剣でどうにかするか」

『あぁ、遠距離攻撃なら理力を覚えればいいだろう』

「……確かにな」


渋面を作っていたが、ルインは頷いた。一応、もっともな意見だと思ったのだろう。
しかし、やはり諦めきれないのか。周囲の木々を調べつつ、森の中を回り続けていた。そしてその度に、失望の色が浮かぶ。

そんな、単調な作業を繰り返していたが。ついに観念したらしい。立ち止まった。


「…戻るか。期待できないが、あいつの報告を待つために」

『………もうちょっと信用してやったらどうなんだ?』


心底うんざりした様子で嘆息したルインに、クロウはたしなめるような口調で言った。
深い溜息をついた辺り、効果は無いに等しいようだったが。

そして、ルインはその場でくるりと踵を返すと鬱蒼と生い茂る森の中から立ち去ろうとしたのだが―――


「……何か…いるな」


黒い相貌をすっと細め、返そうとした踵を戻す。木々の先、そこから感じた何かを見定めようと凝視する。
その瞳に、確かに何かが小さく映りこんだ。身体を覆う緑色の鱗。そして、人でないのに武装し、二足歩行するその姿。
クロウも気づき、声を荒げ


『…!おい、トカゲ兵に女性が襲われているぞ!!どうす――』


言葉を傍らのルインに投げかけようとしたが――ルインは、音も無く。すでに疾風の如く駆け出していた。









木々の間をかいくぐり。
野生の獣のように俊敏かつしなやかに。
ルインは、剣を抜き、その刀身を水平に寝かせながら駆け抜けた。

あと十メートル。

トカゲの兵も、高速で迫る影に気がついた。
驚きながらも、剣を正眼に構えルインに向かう。

あと五メートル。

すでに、一瞬で間合いが詰められる距離と速さとなった。
トカゲの兵は、向かってくるルインに対ししっかりと両足を踏みしめる。
そして、大きく振りかぶり。間合いへと飛び込んだルイン目掛けて振り下ろした。

もう、距離は無い。

ルインは、小さく息を吐いた。
そして、ほんの十数センチ、右に身体をずらす。予測される刃を、紙一重で避けられるよう。
トカゲの剣が、通過した。ルインが、直線で進んでいればいた筈の場所に。トカゲは、驚愕に目を見開いた。だが、遅い。



そして、すれ違いざまに―――首を刎ねた。









「……目測を誤ったか」


トカゲの兵に襲われていた、今は、茫然と座り込んでいる女性の前で。斬り裂かれた左肩のマントを見遣って呟いた。
首を振って、忘れようと試みる。それから、後ろで座りこんだままの女性に顔を向ける。


「無事か」

「………ぁ……は、はい。助けていただいて有難うございました…」


最低限の言葉に、女性は数秒遅れて弱弱しく返事を返し、ふらふらと立ち上がった。
そして、ルインの顔を見上げた。少し驚いた表情になったのは、家の前で会ったことに気がついたからだろう。
女性は、口を開いた。


「あの…良ければ、あなたの名前を教えていただけませんか?」

「……………ルインだ」

「…ルイン…さん…。良い、お名前ですね…」


そう言うと、女性は歩き出そうとした。しかし、足を怪我しているためかふらついていた。
ルインは、手を貸そうと一歩近寄った。女性は、慌てて制止する。


「あっ、私の怪我は…大丈夫ですから……」

「それでは、これで…」

「…ありごとう……ございました……」


頭を下げながら、女性は数歩さがると、時折振り返りながら去って行った。


クロウは、非常に驚いた。何も言わないうちにルインが助けに向かったこともだが、身を案じる言葉や手まで差し出そうとしたのだ。ミーアには、特に何もしなかったのに。
堪りかねた様子で、クロウはルインに話しかける。


『ルイン…どういう風の吹きまわしだ?やけに親切だったが』

「…私はやりたいようにやっただけだ」

『だったら、ミ』

「くどい。戻るぞ」

『………』


言い切る前に、さっさと拒否されてしまった。しかし、言おうとした事を予測できているあたり、実は自覚があるのかもしれないとクロウは考えていた。
クロウは納得いかないものを覚えつつも、ルインとともにサーショへの帰路に向かった。












そして、サーショの街。


「ほぉ……それで洞窟に行ったら、リクレールの虚像の力でどうも力が上がったようだ、と」

「証拠は無いけど確かにそんな感じがするんです。だからどうかその哀れみの視線をやめて下さい」


何故か敬語になりつつも、ミーアはルインに対して弁明していた。つい二時間前、似たようなやり取りがあったばかりだというのに。
目を細めつつ、ミーアを口数少なく注視するルインは正直言ってそれなりの圧力があった。ミーアの想像よりはマシなものだったが。


「…まぁ、確かにそのような気もするな。ご苦労だった、と言っておこう」

「え…あ…。あ、ありがとう」

「何だその物凄く意外そうな礼の言葉は…」

「いや、ルインさんなら『それくらいできて当然だ。とっとと行くぞ』…って、感じの言葉言いそうだったから」

「そうか、期待していたならばそれに応えてやるとしよう…」

「冗談です、すいませんでした。だからどうかその不自然な良い笑顔は止めてください」


深々と頭を下げているミーア。それを見下ろすルイン。笑顔だが目だけ笑っていない怖い顔だ。
クロウとスケイルは、遠い目でそれを眺めていた。あそこまで低姿勢なミーアは、見ていて可哀そう過ぎる。


「…まぁいい。では、これからは二手に分かれ災いに関しての調査を行うことにする」

「え?一緒に行くんじゃないの!?」


言いきったルインに、ミーアは驚いて問いかけた。
ルインはと言うと、意外そうな目つきでミーアを見た。何を今さら、とでも言いたげな表情だ。


「馬鹿な。効率が悪いだろう、それでは」

「え、でも一緒の方が安心なんだけど…」

「…何を甘ったれた事を。元はと言えば、お前は一人でこの世界に送られるはずだったんだ。大した事ではない」

「あ…う、うん……」


俯いたものの、ミーアは承諾した。不満げな様子を感じ取ったのか、ルインは鼻を鳴らすと一言付け加えた。


「………必要があれば協力してやる。やれるだけのことはやれ。まずはそれからだ」

「あ…良いの!?…あ、ありがとう!!」


先ほどとは打って変わって、晴れやかな表情だった。ルインは表情を変えなかったが、嫌々、という訳ではなさそうだった。
ただし、乗り気でもないようだ。妥協案、と言ったところだろう。


「と、言う訳でとっとと行け。お前は手際が悪そうだからな」

「わかった。それじゃあ先に行くね!」


ルインの皮肉にも、傷ついた様子どころか気づいた様子さえない。頷くと、元気よく駆けだしていった。
街から出る直前、ミーアは振り向いて勢いよく右手をあげて、左右に振った。ルインは、早く行け、とばかりに煩わしそうに手を振り返した。






そして、サーショの街にはクロウとルインが残った。
ミーアが出発したのを見届けると、ルインも歩き出した―――街の出口とは、反対方向へ。


『おい…ルイン、何所へ――』


そう、問いかけたところで。クロウは、ルインがどこへ向かっているのか理解した。ルインが進んでいる道。この先にある場所は、ひとつだけ。意図はわからないが、ついていく。
ルインが立ち止まり、扉を軽くノックした場所は―――。





「…あ…貴方は……」

「少々話がある…入れてもらえるか?」


その家から出てきて、ルインを驚いた表情で見上げたのは―――ルインが森で助けた、黒髪の女性だった。









各話あとがき
第三話です。結構スローペースでしたが、このくらいの更新ペースになると思います。
考えてみた結果、やはり、新・旧両方で更新していこうかと思います。
DORA
2007/05/29(火)
00:08:11 公開
■この作品の著作権はDORAさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのコメント
あとがき

旧テキストBBSに書き込み始めたばかりですが、新テキストBBSが出来ているので、こちらに書き込んでいきたいと思います。

はじめまして、DORAです。読んで下さっている方、有難うございます。
書きたいという衝動に動かされ、オリジナル要素を大いに?含んだモノを書き始めました。
とりあえず、下記に三点だけ。

・小説書きは初めてなので、努力しますが…自信はありません。

・オリジナル要素によって、本編と若干展開が変わります。

・万が一、感想、アドバイスが頂ければ必ず返信します。

以上です。それでは、よろしくお願いします。

この作品の感想をお寄せください。
はんまかんま、はんまかんまw(*・ω・)※ http://mbtu.net/arc/blog-10054.htm Name: feary
PASS
■2011-10-11 16:12
ID : lPjwwPrHNTA
どうも、初めまして。Texです。
この掲示板に感想書き込みをするのは初めてなのですが、この話がふと目にとまったので楽しく読ませて頂きました。
感想の方ですが、面白かったと思います。続きも気になりますし、作品の雰囲気が大変気に入りました。
(あまりこうした作品は読んだ経験がないので、自分の意見は当てにならないかも知れませんが)

月並みな感想で恐縮ですが、自分のようにキーボードを打ち過ぎて腱鞘炎になどならないよう、気をつけて創作を続けて下さい。
それでは、また。
Name: Tex
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■2007-08-04 21:34
ID : UXmEmuTPMQs
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